【才能発揮は職業病】

安田です。


才能を発揮できる人は
ある意味、職業病なのです。

四六時中
無意識に

自分の才能の
分野のことだけを
考えているのです。

絵を描く才能が
ある人は

何を見ても
聞いても

絵を描くことに
つながるように
考えています。

音楽の分野の
作詞・作曲家であれば

常に作詞・作曲が
できるように
考えているのです。

職業病というのは
無意識に没頭しています。

自分の才能が
よく分からない場合は

無意識に考えていることや
見てること、聞いていることを

どのような観点から
見ていて、聞いているかを

自己分析することで
才能を見つけるヒントを
見い出すことができるのです。

同じ景色を見ても
人によって見え方が
違うのです。

どのような観点から
見えているかを
言語化することで

自己分析を
することができます。

言語化というのは
言葉だけではありません。

人によって
言語化が違うのです。

ある人にとっては
絵を描くことが
言語化になるし

ある人にとっては
作詞・作曲が
言語化になります。

言語化は考えていること
感じていることしか
表現できないのです。

無理に暗記して
覚えたことというのは
簡単に忘れてしまうのです。

無意識に考えていること
感じていることを
言語化していくことで

自己分析が
できるようになり

何をしたらいいのかが
分かるようになります。

今の時代は
才能発揮は
必須なのです。

なぜなら
人にしかできないことが
求められているからです。

ある意味
どんなつまらないことでも
役に立たないようなことでも
才能の発揮が必要なのです。

才能の発揮といっても
大きなことでなくてもいいのです。

ごく身近なことで
誰でもやっていることの中で
他の人より秀でていれば
才能になっていきます。

才能を発揮する人は
無意識なこだわりがあります。

「ここだけは譲らない」という
こだわりがあり

そのこだわりを
磨くことができるのです。

どんな人でも
何らかのこだわりを
もっているのです。

そのこだわりを
言語化して

磨いていけば
才能の発揮に
つながっていきます。

そして、無意識に
四六時中、考えるほどの
職業病になれれば

才能の発揮が
できるのです。

自分の才能を
発揮するための

知識や情報だけを
入れるようになるので

無駄な情報を
無意識に拒否する
ようになります。

今の時代に
多くのことを
知る必要はありません。

なぜなら
いくらでも調べることが
できるからです。

専門家というのは
非常に視野が狭いのですが

自分の専門分野だけは
誰にも負けないくらいの
膨大な知識を知っています。

知っているという
次元ではなく

身体に根付いているという
次元でもあるのです。

職業病になるほどに
没頭することができれば

才能の発揮は
時間だけの問題になります。

何を見ても
何を聞いても

同じ観点から
見ることができれば

全てがインプットになり
それを才能の発揮という
アウトプットをすることができ

新しい価値を
生み出すことが
できるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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