見出し画像

1年目の社会人がせっせと仕事を辞めて、フリーランスになったら思ったより充実したライフを送っている話

どうも。トウドウカズキです。
このユーチューバーみたいな
挨拶をコンスタントに続けてる僕。

今回は僕の短い人生経験の中で天下一品のこってり豚骨ラーメンくらいこってり濃厚な話を書こうと思う。

というものの、社会人経験が一年しかないワカモノが何を言っても認められる訳でなく、やっかみを受ける可能性の方が高い印象なんだけど、書けることは書く。いや書かせてくれ、お願いします。

とりあえず、僕は理学療法士を本職にしている人間で、今年で2年目になる。予定だった。

僕は、一年間PTとして社会人として働いてきた。
一年目の一ヶ月間、国家試験合格とは言え、
理学療法士としての資格証明書が届いておらず
基本的に、どこの病院でも治療を行う事が
出来ず、患者様に接する時間があったとしても
非請求(患者様が支払うお金が発生しない)のため
患者様に対しての治療以外の業務を新人研修として
受講することになる。

非常につまらない内容ではあるものの、社会人経験のない僕にとっては、社会に生きていく上での最低限度の人間性を磨くために重要なセクションだった。
挨拶、患者様への対応などの接遇面を中心に様々なシチュエーションを再現し、実技演習を行なっていた。

全ては自分のため。

社会で生きていくため。

そう思うと苦ではなく、案外自分は順応
出来そうな気がしていた。

就職して二ヶ月が立ち、担当患者に対して
治療をするようになった。
といっても、一年目はプリセプターと呼ばれる
同職種の先輩が一対一でつき、
新人が行う評価、統合と解釈、治療プログラム立案、
治療、評価……のサイクルを一つ一つチェックしながら治療を進めるため、自立とは程遠いものだった。

自分とは違う、

患者様のため

だと思うとこれも苦ではなく、
元々勉強オタク(自称)の自分に
とっては有意義で仕方がなかった。

六ヶ月が立ち、季節は秋。
ある程度自立が許され、
一連の業務に慣れてきた頃、
ある心境の変化に気付く。

自分のためって、なんだっけ?

自分は自分のために、生活費を稼ぐ為に、
働いている筈だ。なのに残業代は出ない上に、効率を考え、労働しても定時に終わらない仕事(定時までにカルテを書く時間が与えられていない)をして、帰って休む事なく、治療案を先輩に見せなければないため家で書類を作り、翌日仕事に。
生活するために労働している筈が
労働するために生活をしている感覚になっていた。
まぁ先輩も残業しまくってるしそれが普通なのかもとか考えてしまっていた時期も正直ある。

んー このままじゃマズい。
所謂、社畜の完成形だった。オーマイガー。

上記の内容に気づいた僕は、出来るだけ職場に迷惑を掛けないためキリのいいタイミングで辞める事にし、理学療法士とは全く違う事を仕事にしようとしていた。結構勇気が要る。笑

model、photographer、accessory design…etc
非常に欲張りだなぁと思いつつ現代では、
mulchに働く人材なんぞ沢山居る。
むしろ、手に職や技術がなければ、楽しく有意義な生活を送る事が難しくなっているような気がする。

変な話で、汚いものではあるが
accessoryを始めてからというものの、
病院で働いていた月収を軽く超えている事に
気付いた。

自分のためと言い聞かせながら、
患者のために治療行い、病院のために働いていた。それは間接的ではなく、直接的に自分のためではない事しているに気付いてしまった。
知らなければある意味では幸せだったかもしれない。

医療という対人関係が必要なサービス業。
知識以上に人間性が求められる職業であり、馬鹿に出来ない大変さがある。いわゆる"やりがい"というものを感じやすい職であった。かつ、人のために働くというのは物凄く(聞こえが)良い善行だし、そこに"プライド"を持つ者も多い。

ただ"やりがい"や"プライド"という価値観は綺麗事であり、労働(時間)に似合うだけの給料というものが得らなければならないという個人的な価値観がある。
あくまで個人的である。笑

皆はどうだろうか?

今の日本社会の価値観は、労働(時間)の辛さの対価として給料+やりがい+プライドが得られるような価値観で動いている気がする。(主観がつよいかも)

本来やりたくないが労働する事によって対価である給料が発生し、生活していく訳だけども、そこには決してやりがいやプライドを得たいがために働いている訳ではない。
むしろ、やりがいやプライドは、労働(時間)の苦/(やりがい+プライド)という除数的な関係であってほしいと思うわけだ。
やりがいやプライドを持つ事によって労働による苦を除してくれるものであるべきかなと。

口揃えて「甘い」と言われそうだし、「できる人が言うんだ。現実はそんなに甘くない。ほら、やりがいがある仕事なんだから頑張りなさい。」なんてセリフが聞こえてきそうだ。笑

別に名誉なんていらねーよ(本音)

違うぞ。みんな出来るよ。出来るはずなのに……
出来ないから現実見ろと、頭ごなしで自分の経験則やそれっぽいリアリズム(笑)を押し付けられているだけだぞ。出来る可能性を潰されているだけなんだよな。ただそういう言葉で潰れるようならそれまでなんだろうとも思う。

現実とは今自分が見ている世界であり、人それぞれの現実がある。(厨二病みたいなセリフで頭が痛い笑)

リアリズムってセリフは一般論のようなニュアンスを感じるが、人それぞれの価値観で変化する自論の代表例のような気がする。

現実を見なさいという人間ほど、視野の狭い現実を見ているのだろう。それは個々の価値観であり、他者の現実に対して介入する権利なんぞ、誰にもないのだ。
むしろ自己実現を否定する意見を述べるの方が"甘え"だろう。個の力で何かをしようとしている方が絶対に"苦い"。だがそれが楽しい(やりがいも感じる。プライドも持てる。)。そしてそれに対する見返りもしっかり返ってくる。

もしかすると、僕が見てきた日本の会社は1つしかないので、ある意味狭い視野、現実で生きていたに違いない。
だから日本の企業が絶対しも、ブラックという訳ではない事は、皆も心に留めておいてほしい。同年代の人たちからはうちの会社、待遇がいいという内容を良く聞く。

ただそういう企業ほど、推測でしかないが、新人に対する教育面は行き届いており、何事も否定から入るような先輩は居ないだろうし、社内環境が明るいのだろうと思う。

必ずしも、フリーランスが正解で、会社に属する事が間違いという訳ではない。その逆も然りだ。
働き方は○×で表せるほど単純なものではない。

自分がどうしたいか、何がしたいかがしっかり表現できる環境にコミットする事が正解なんだろうと僕は思う。

それがたまたま、僕が目にした現実の場合、フリーランスになる事だったに過ぎない。

ながながと最後まで読んでくれて、ありがとう。わかりにくいかも知れないけど、何かしら生きていく価値観に反映されたらいいな。参考になればいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?