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【図解】得ることの苦しみ

残暑も落ち着いてきたこの頃、
果物売り場にも秋の訪れが聞こえてきました。

ジベレリン処理で去勢された生物だ!
と複雑な思いを抱きつつ、
種なしぶどうを買ってきました。


ぶどう初体験の次女も、
ぶどうが気に入った
ようでした。

私がぶどうの皮を剥いてお皿に入れるやいなや、
あっという間に口に放り込んでいきます。

皮を剥く父、食べる次女による、
抜きつ抜かれつのデッドヒートが繰り広げられました。


私が皮を剥く手を休めて他のことをしていると、
お皿のぶどうを食べ尽くした次女、
テーブルを叩いて大泣き

残りのぶどうが視界に入っているせいか、
もっと食べたいと訴えてきました。

何粒か皮を剥いてお皿に入れると、
落ち着きを取り戻して食べ始めます。


そして、お皿が空になると、また大泣き

また皮を剥いてお皿に入れて、
それを食べたら大泣きして、というループを、
視界からぶどうが消えるまで繰り返していました。


そんな光景を目の当たりにして、
得苦とっく」という言葉を思い出しました

「求めているものが得られない苦しみ」
を表す仏教の言葉です。

声に出して読みたい仏教用語。
(ぐふとくく とも読むようです)


次女が大泣きするほどの苦しみを感じたのは、
求めているもの(ぶどう)が得られなかったため
です。

ぶどうを得ようとする欲が生まれたのは、
ぶどうの味を知ったこと、
ぶどうが視界に入っていることが原因です。


そもそもぶどうを買ってこなければ、
こんな苦しみを味わうこともなかった
のです。


しかし、見知ったモノだけで娘の世界を形作り、
苦しみを生まないようにすることが
親の務めでしょうか

たしかに苦しみは減るかもしれませんが、
得られる喜びも減る。

そんな生活は無味乾燥に過ぎるでしょう。

酸いも甘いも味わい尽くした老境ならいざ知らず、
多感な幼少期にはさまざまな五感の刺激を与えるべきです。

時にそれが苦しみをもたらすとしても。


生きている以上、苦しみは避けられないものです。

SNS での自慢話を見るまでもなく、
世の中には「自分が得られなかった喜び」
があふれています。


得られない苦しみに対して、
それを消そうとするのではなく、
苦しみと向き合って受けいれる術を
子どもには身に着けてほしい

そういった思いから、
長女がちょっとしたケガをしたときは
「いたいのいたいの、受けいれる」と諭しています。


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いつも図書館で本を借りているので、たまには本屋で新刊を買ってインプット・アウトプットします。