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MADE IN 何?

携わっているブランドで大きなイベントに出店する機会が多くなってきました。この2年で色々変わってしまったことも多いですが、買い物を楽しんでおられるお客様の顔はマスク越しとはいえ以前のそれと何も変わっていませんでした。
そんなことに安堵しつつ、接客の感覚を戻していく良いリハビリ期間にもなりました。

そんな中、耳に残った言葉があります。
「どこ製ですか?」という質問。
以前からもそのやりとりはありましたが、特に多くなった気がしました。

携わっている製品もわたしの洋服も一貫して日本国内にて生産しています。
日本製という響きはとても良いイメージに聞こえますが、ただ正直それだけでは何の裏付けにもなりません。
「日本人のもつ気質がモノづくりに向いている」「ここ何十年の日本の実績」、皆さんそういうイメージから繋がってるのだと思います。
言ってはなんですが、どれだけの人がそれを個々で判断できているかはあやしいものです。日本製でも目に余る製品が多くなってきたようにも感じますし・・。

私たちも良い製品を作りたいという思いでスタートしました。
それが、たまたま腕の良い職人さんを紹介してもらうことができ、先方とこちらの思う技術やロット数量が折り合えたから始められただけに過ぎないのです。小さなところからスタートした者にとってメイドインジャパンは言わば必然、そこに日本だとか海外だとかは関係ない。
価値があるのはそのモノの本質と職人と築き上げた時間(信頼)でしかない。

今はもう何十年か前の日本ではなくなっている。その一方で発展途上といわれていた国々も大きく変わってきている。
アジアやアフリカの国々でも良い腕を持つ職人はいるはずです。そこへの価値を見極め、賃金を上げることが出来ればもっと良いモノもできるはず。
回り回ってそれが刺激となり、再び日本の技が光輝くことになるなら言うことはないのですが・・。
メイドインジャパンに誇りをもつことも大切ですが、メイドインジャパンという言葉自体に特別な価値を持ち過ぎることは危険なことなのです。

わたしはある時から聞かれるまで「どこ製」と言わないようになりました。結局はモノを見た人がどう感じるかであって、その直感の部分も含めて自分たちが思う良い方向に誘導してはいけないと思うのです。
それは消費者の目を鈍らせ、ひいてはモノづくり全体にプラスにならないと考えるようになりました。

知り合いの職人いわく、昔のままでは続けていけなくなったと言います。
いろんな要因があるにせよ、我々にも責任の一端はあるはずです。

自分たちの中にある当たり前をもう一度見直し、本当の美しさを問いただす時期に来ているのかもしれません。
「どこ製?」より、結局はそのモノに何が詰まっているのか?
それをどこまでくみ取れるか、消費者にも問われているのではないでしょうか。

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