大学生、雨、コロナ
世界が泣いてるみたいだなぁ
と、窓の外を眺めて思った。私はこういう雨が嫌いじゃない。
ザーーーと、音を立ててひたすらに降りしきる雨。
中学3年生くらいだっただろうか。梅雨の時期。ザーザー音を立てて、他に何も迷いなく線を描いている世界を見て、初めて梅雨が好きだと思った。
空だって、ずっと笑顔で居たら疲れてしまう。たまには声をあげて泣きたくなるよなぁ
それ以降、梅雨は嫌いだと眉間に皺を立てる友人たちの中で、私は優しい気持ちになれるようになった。
まあその代わり、小雨の時はイライラしたりするのだけれど。
うじうじ泣くな!泣くなら思いっきり泣け!!!!
ただ、今は梅雨の時期でもなんでもない。
4月中旬。この頃微笑み続けていた空は私が起きた時にはもう泣きだしていて、
世界が泣いてるみたいだなぁ
と思った。そうだよ、こんな「人に会ってはいけない」なんていう奇妙な世界に居たら、空だって泣きたくもなる。それか、人間たちのために空が代わりに泣いてくれているのか。
緊急事態宣言から約1週間。
外に出てはいけない、人に会ってはいけない、こんな不思議な世界を経験することになろうとは。
インスタグラムの暇つぶしリレーが飛び交い、芸能人が手洗いを呼びかけ、オンライン飲み会が大学生の間では主流になってきた。学校の授業はどうなるのか、就活の面接はどうなるのか、休業したお店の未来はどうなるのか、日本の経済はどうなるのか、
不透明な世界の中で、雲は地上に線を降り注ぐ。
カーテンを押さえ、その線を眺めながら、
「人に会う」ってこんなに私たちに必要なことだったんだよなぁ
と思った。
IT、AI、人に代われる技術が多く生み出されている世界で、人がどれだけ「会う」ことを必要としていたのかが、ひしひしと、じめっと、重く、感じられている。
また、空港から好きな国へ飛び立ち、学校で友人と眠い講義を受け、電車に乗っておばあちゃんに会いに行き、家族で美味しいお寿司を食べに行く世の中が戻ってきたら、
きっと人々は今までは喜びを敢えて感じなかった場面に、穏やかな喜びを感じるのだ。
そう考えると、こんな世界も悪くない。
なんて。
毎日の晴れより、雨続きの日々の後の快晴の方がめちゃくちゃ嬉しいというのは、コペンハーゲンで知ったことの一つ。
あ、後、留学明けのお母さんのお味噌汁とか、もう信じらんない程美味しい。
留学でヨーロッパ中を駆け巡っていた生活から一変、急にぎゅうぎゅうに人とコンクリートが押し込まれている東京で、友人誰一人と会うことなく3週間を迎えようとしている。
就活もあるし、友人に会えない、そもそも外にも出られない。そんなストレスを抱えた部屋で起床した今朝、雨を見て
世界が泣いてるみたいだなぁ
と思った、そういう次第である。
んで、んああああああと言葉にならない感情を抱いた時、矛盾なのか因果関係なのか分からないけれど、言葉を紡げるnoteの世界にやってきていた。
留学を機にnoteを始めてから、眩しいくらいに思い知ったことがある。
私はやっぱり、文章を書くのが大好き。
書けば書くほど、自分の語彙力のなさと想像力のなさと表現力のなさと、
文章を書くことが好きだということに気づいてしまった。
この不透明な世界で、透明になったものって、多分ものすごく、大事なことだ。
だから私は、再び電車に乗って見慣れた景色をもう一度眺める喜び、友人と学校で並んで授業を受ける喜び、家族で価格を気にせずメニュー表を眺める喜び、友人に会ってきゃーっと悲鳴をあげる時の喜びを最大限のものにするために、
今は家で出来ることをやろうと思う。
そして、大好きなことを続けようと思う。
もしこの奇妙な世界で大切なものに気づいて、家で有意義な時間を過ごして、大好きなことも出来て、後々の喜びが最大限のものになったら、
それって多分一番の、コロナへの復讐だ。
んんん?さっきまで世界で鳴っていた音がしない気がして、パソコンから顔を上げる。
お、泣き止んだ。
すんごくありきたりでいわゆる「あるある」恥ずかしいカッコつけ言葉だと思って敬遠してきたけど、今こそ、そう、
雨は、必ず止む
留学後もnoteを続けるか考えていましたが、そんなこんなで気ままに好きなことを続けることにしました。
暇な時に、ひょこっと、顔を出して覗いてくださると嬉しいです。