当たり前に外すラベル


大人になって、違和感を感じることが増えた。

この間ああ言ってた上司が、今日はこういってる。おかしい。とか

BlackLivesMatterをインスタで投稿してたあの子が、中国人の友人だけ名前ではなく「中国人」と表現してる。おかしい。とか。



日常に浮かんでる無数の違和感は、自分のことも沢山ある。

あれ、あいつのこんなところが嫌いだったはずなのに・・・!とかいう可愛い違和感や

ペラペラと次から次へと言葉が出てくるのに、本当は真逆のことを考えてるって自覚してしまう、汚らしい違和感とか。


恥ずかしながら、本当に恥ずかしながら、

約一週間前から、プラスチックごみを分けることをやっと始めた。


ビニールを食べるウミガメや、ペットボトルを飲み込むイルカたちのニュースに、心底、本当に心を痛めていた私も

年々溢れていくゴミの行き場がない事実をふんわりと知りながら、地球はどうなるんだろうな、まあ、私が生きてる間は大丈夫だろうけど、私たちから気を遣った生活をしないと本当にどうしようもないんだろうな、と思い

洗えるストローや、シリコンタッパーを買って、もちろん買い物はエコバックだし、可能な限り”無駄な”ゴミを減らしていた私も全部本当なのに、

当たり前にラベルを剥がしてペットボトルを捨てていた私は

剥がしたラベルを燃えるゴミ袋に纏めて入れてたことに、やっと気づいた。


きっかけはとてもシンプルで、担当していた案件で、梱包資材に使用するトレーに「プラ」のリサイクルマークを入れることを進めていたこと。

あ、そっか。「プラ」を入れていたらリサイクルされるのか。

リサイクルされたら、一度使われただけで、あのごみの山に追加されるんじゃなくて、

またどっかのトレーやラベルになれるのか、と、当たり前なことに気づいた。

無論、地球にやさしい行動を心掛けていた私が、そんなこともできていなかったことに絶望したし、

分別し始めたら、私の使っているあらゆるものに「プラ」マークがあり

燃えるゴミの半分とは言わないけど、5分の1くらいのペースで「プラ」のごみが出来る。


なんとも恥ずかしい。

当たり前にラベルを剥がして、当たり前にラベルレスの水を購入して、地球に優しい自分に一種の肯定感を感じていた私が

気を付けたら非常に安易にできる、こんなちっぽけな環境への貢献を、悪意なく当たり前に無視してたなんて。

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