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「出光佐三」と甲宗八幡神社

「海賊と言われた男」が結婚式を挙げた神社
甲宗八幡宮は門司区にある神社です。
9世紀に清和天皇の勅使が宇佐八幡宮のご分霊を京都にある岩清水八幡宮に遷す途中で門司に滞在した時、瑞雲(めでたいことの前兆の雲)を見たのでこの地に神社を創建したとされています。甲宗八幡宮の名前は神功皇后がご着用した御甲を御神体として祀ることから来ています。
この神社は八幡三神を祀る戦の神でありますが、実は「海賊と言われた男」出光佐三氏が結婚した神社でもあります。
「出光佐三語録」という本によると「出光佐三は大正15年の6月に、門司の甲宗八幡宮で土佐藩主山内家の一族である山内靖子と再婚した。そしてその翌年に長男昭介の誕生を見た。」とあります。
なるほどよくよく見ると鳥居は出光佐三の寄贈であり、鳥居の真ん中に掲げてある扁額は出光佐三の直筆だそうです。

源義経・平家伝説のゆかりの地、甲宗八幡宮
門司六ヶ郷の総鎮守であり、源氏・平家のゆかりの地としても知られる神社です。
また、八幡三神を祀る戦いの神であります。
古代では都を西門の守神として鎮まり、中世には朝廷からの尊崇厚く、文治元(1185)年には、壇ノ浦合戦に勝利した源範頼(みなもとののりより)・源義経が参拝し、重藤弓(しげとうのゆみ)・鏑矢(かぶらや)を献上したと伝わります。
一方で、平知盛(たいらのとももり)の墓として伝わる石塔と供養塔が拝殿の隣りに祀られています。
足利尊氏や周防国の大内家からも崇拝されました。
近世には細川家・小笠原家から小倉藩の守護神と崇められ、近代には門司で起業した出光佐三氏を始め多くの崇敬を集め現代に至ります。

小倉織の御朱印帳とお守り
小倉藩の守護神として崇敬を受けた甲宗八幡宮では、小倉織の生地を用いた御守や御朱印帳を授かることができます。
江戸時代、小倉藩の特産物であった小倉織の袴はとても生地が強く、槍で突かれても矛先を通さなかったことから「災難除け」として全国で有名になり、小倉織の生地を用いた御守が作られるようになりました。
縦縞が特徴的なモダンなデザインが人気を集め、求める参拝者も多く見られます。

御祭神
第一殿:品陀和気命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)・・・ 誉田別命
第二殿:気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
第三殿:比売神(ひめがみ)・・・宗像三女神
  市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
  多紀理比売命(たぎりひめのみこと)
  多紀津比売命(たぎつひめのみこと)

御祭神を三座一体で八幡神、もしくは、八幡三神と呼びます。

御由緒
貞観2年(860)、清和天皇は太宰大弐(太宰府の太宰師の次の位置する職)清原真人岑成を勅使として派遣。勅使の旨を受けた行教は、畏んで宇佐八幡宮のご分霊を山城国(京都府)にお遷しする(石清水八幡宮の創建)途中、門司関の霊峰筆立山(大宮山)の山麓に滞在しました。
するとその時、筆立山上空に瑞雲(めでたいことの前兆として現れる雲)がたなびき、不思議なことに八流(やながれ)の幡(はた)を天降(あもり)して、光り日月のごとく行教の袈裟を照らしました。
大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教は「大神の出現疑いなし」と上申し、この地に宇佐八幡宮の御分霊を祀り、神功皇后御着用の御甲を御神霊(御神体)として外朝西門鎮守門司八幡宮(後に甲宗八幡宮)を創建しました(御甲をご神体として祀ることから甲宗と称すようになる)。

御神殿

拝殿


境内に立つ出光佐三氏の記念碑


御朱印

ポスター



神社: 甲宗八幡神社
住所: 北九州市門司区旧門司1丁目7-18
HP: http://www.kosohachimangu.jp/
本文の出所:甲宗八幡神社hpより加筆およびインタビューにて



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