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至誠・松陰神社@萩

至誠とは、
至誠而不動者 未之有也   ・・・ 孟子の離婁章句の一部分です。
至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり


皆さんご存知の吉田松陰先生
幕末期に長州藩(山口県)が誇る吉田松陰先生。
長州Fiveを筆頭に、多くの門下生を持つ松下村塾。
そんな松蔭先生をお祀りする神社です。

日本には歴史上の人物が神様(人神)になった神社が多くあります。
菅原道真の天神様の太宰府天満宮。
徳川家康は権現様として日光東照宮。
その他に、豊臣秀吉、織田信長、上杉謙信、加藤清正、平将門、安倍晴明、西郷隆盛などなど

松陰神社は、山口県萩市の東、城下町から外れた場所に鎮座しています。
史跡・松下村塾の敷地内に奥手に、松陰神社はあります。
もしくは、松陰神社の境内に松下村塾があるのかもしれません。(笑
周囲には、伊藤博文の旧宅や玉木文之進の旧宅、少し山手に行くと吉田松陰生誕の地などが点在しています。

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鳥居をくぐるとそこには、凛とした本殿が待ち構えていました。
社殿は、質実剛健と言った感じです。

ここを参拝するときは、さまざまな神社を参拝する時とは違って、吉田松陰先生にお会いして、教えをいただきに来た感じがします。
さらに今は亡き幕末の若き勤皇の獅子たちの息吹を感じ、その力を授かりに来たという心持ちにもなります。
何か熱いものをいつも感じてしまうのが、この場所なのです。

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御祭神
 吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)  … 吉田松陰

御由緒
松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。
これが松陰神社の前身であります。

明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されました。同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。萩城の鎮守で、当時廃社となっていた、宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、境内の整備が進められました。

昭和11年(1936)、松陰神社改築奉賛会が設立され、翌年には王政復古七十周年記念事業として、神社神域拡張工事が着工されました。昭和15年(1940)には新社殿が起工され、同17年(1942)には桧皮葺の社殿が竣功しました。しかし大東亜戦争が激しさを増し、国家総力戦の様相を呈するに至り、遂に御遷座されないまま終戦を迎えました。

戦後、社会情勢が落ち着くと、厚東常吉などが中心となり事業を再開しました。新社殿屋根を銅版に葺き替えるなどの改修工事をおこない、ついに昭和30年(1955)10月26日に御祭神が新社殿に遷座されました。
これが現在の松陰神社本社であります。

※出所:松陰神社HPより

末社 松門神社
現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、松陰先生の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建されました。

松門神社御祭神
・久坂 玄端命  ・高杉 晋作命  ・吉田 稔麿命  ・入江 九一命
・金子 重輔命  ・伊藤 博文命  ・山県 有朋命  ・品川弥二郎命
・前原 一誠命  ・松浦 松洞命  ・玉木 彦介命  ・馬島 甫仙命
・野村 靖命   ・山田 顕義命  ・木戸 孝允命  ・寺島忠三郎命
・時山 直八命  ・杉山 松助命  ・松本 鼎命   ・飯田 正伯命
・増野 徳民命  ・尾寺新之丞命 ・阿座上正蔵命 ・渡辺 蒿蔵命
・天野 御民命  ・有吉熊次郎命  ・飯田吉次郎命 ・境 二郎命
・河北義次郎命 ・久保 断三命  ・国司 仙吉命  ・駒井政五郎命
・諫早 生二命  ・井関 美清命  ・岡部富太郎命 ・滝 弥太郎命
・妻木寿之進命 ・中谷 正亮命  ・弘 勝之助命  ・堀 潜太郎命
・正木 退蔵命  ・横山 幾太命  ・赤禰 武人命  ・大谷 茂樹命
・岡部 利輔命  ・小野 爲八命  ・木梨 信一命  ・佐々木亀之助命
・佐々木貞介命 ・福川犀之助命 ・福原又四郎命  ・山根 孝仲命
・沼崎吉五郎命               計 53柱

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御朱印

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御神籤
おみくじをいただく事はないのですが、今回引いてみました。
御神示は、 (笑
御教訓は、人を恨むな自らのたらざるを責めよ
はい、教訓を胸に留め精進します!

松陰神社では、おみくじで凶を引き当てた人は社務所に申し出てください、と書いてあったので社務所へ向かうと、
凶を引いた人には特別に厄除けのようなものが神社から贈られ、私は御利益があるお箸を頂きました。
なんだか逆に得をしたような気分になりました。

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さて、折角なので少しだけ境内のご案内をさせていただきます。

松陰神社の駐車場に車を停めて、一の鳥居をくぐると目の前に、吉田松陰と高杉晋作が描かれた大きな絵馬がありました。

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参道を少し進むとそこには、松下村塾があります。

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「学は、人たる所以を学ぶなり」
松下村塾の説明はご存知の通りですが、
部屋の中には吉田松陰先生を中心に、久坂玄瑞、高杉晋作、前原一誠、木戸孝允などの写真が飾られています。

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講義室には、松蔭先生の肖像があります。

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境内にはその他に、松陰神社宝物殿 至誠館、吉田松陰 歴史館といった吉田松陰先生の遺品や資料などがさまざま展示されている施設があります。

松陰神社は、私にとって襟を正させられる場所です。
伊勢神宮や霧島神宮などといった神社は、心が洗われる清らかな場所なのですが、ここは心が熱く掻き立てられます。
直ぐに感化される性格なので、何かを学びたいとか、議論したいという気持ちになります。
また、若き青年たちが熱く語り合った情景を想像するだけで、こちらまで熱くなります。
吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作といった人たちが今の日本を見てどのように思うのか少し心配ですが、未来の日本のために生きた彼らに恥じぬよう、頑張って生きていきたいと思いました。
白壁の残る城下町に維新の息吹を感じる萩でした。



神社: 松陰神社
住所: 山口県萩市椿東1537番地
HP: http://shoin-jinja.jp/



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