鎮守の杜の東大野八幡神社@小倉南区
鎮守の杜と子受けの宮と呼ばれる東大野八幡神社。
平尾台を仰ぎ見る花枝山に御鎮座し、御神木の杉木立に囲まれた神社です。
北九州市内にはいくつかの奇祭があります。
ここ東大野八幡神社では、尻振り祭りという奇祭があると聞いています。
すごく面白そうなので、いつか見てみたいお祭りです。
さて、国道322号線を田川方面に南下し、九州自動車道の小倉南インターチェンジを越えて、少しばかり走ったところに神社はあります。
大きな看板と一の鳥居が目印です。
一の鳥居を抜けると、長い階段があります。
この階段を登ると、二の鳥居があり、さらに階段を登り進むと、杉木立の参道が待ち構えています。
長い杉木立の参道から差し込む木漏れ日はとても清々しく、一歩一歩足を進めるごとに身を清められている感じがします。
境内へ入る前に、注連縄をくぐります。
本殿はそれほど大きくはないのですが、周りの大きな木々に囲まれてとても厳かに感じます。
御本殿は、千木は内削ぎで鰹木が5本です。
千木が内削ぎの場合は御祭神が女性 ・・・ 神功皇后
鰹木が奇数の場合は御祭神が男性 ・・・ 応神天皇
だからかな??(笑
御神木
境内にある樹齢500年の御神木の杉の木は子授けにもご神徳があります。
杉の木には珍しく、樹が何通りにも分かれています。
その為、古くから「子孫繁栄・子宝」の象徴とされ、子授けの御神徳を戴けると伝えられています。
御神木に実った杉の実を御神体として納めた子宝お守りは、とても御利益があるそうです。
絵馬は、子宝祈願と描かれた可愛い絵馬です。
御祭神
・応神天皇 品陀和気命(ホムダワケノミコト)
・神功皇后 息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
・宗像三姫命
多紀理姫命(タキリヒメノミコト)
多岐都姫命(タギツヒメノミコト)
市寸島姫命(イチキシマヒメノミコト)
御由緒
社記によれば、天智天皇五年(666年)二月に高津尾の里降原(現在の郷原)影向石に八幡大神の神霊(みたま)が出顕。「吾は廣旗八旗神なり」と宮崎守明に神託したとも云われています。
その後、養老四年(720年)秋、始めて放生会(ほうじょうえ)あり、大宮司並びに次官十二名供奉云々とあるを以て、当時社頭が盛大で在ったと考えられます。
天喜三年(1055年)、社殿を山本村沼に遷し、沼宮と称されました。享禄五年(1532年)、大友氏の兵火に遭い、社殿を悉く焼失しましたが、天文五年(1536年)、大内氏が社殿を再建しました。その後、東西大野郷十六ヶ村の産土神となりました。同年八月大野山上に鎮座大野八幡宮と称し、大野郷(東谷、中谷の全村及び合馬、田代17ヶ村)の産土(うぶすな)神と崇む。
寛文七年(1667年)丁未(ひのとひつじ)衆庶の崇敬によって、現在地花枝山に社殿を建立勧請せられ、以来東大野八幡神社と称し、東谷十ヶ村の産土神と崇められ、また寛延二年(1749年)二月二十日、小倉城主小笠原忠基公が奉幣し、里人に社殿再建を命じられました。その後小森手長大社となり、明治五年郷社となりました。
※出典:東大野八幡神社 HPより
この神社は、本当に杉の木に囲まれた素敵な神社です。
今までは通り過ぎるだけでしたが、訪れてみてこんなに素敵な神社が街道沿いにあったことを知れての感激しています。
杉木立の参道は、さながら日光東照宮にある杉並木を彷彿させます。
本当に気持ちの良い場所です。
さらに、北九州市の奇祭の一つである井手浦尻振り祭。
話は聞いたことがあるのですが、一度も見たことはありません。
いつかきっと見てみたいと思います。
井手浦尻振り祭
尻振り祭は、平尾台の麓の井手浦地区に400年以上前から伝わるとされる。昔、平尾台にいた大蛇を神様が退治し、切った尻尾が井手浦に落ちて跳ね回り、その年は豊作になったという伝説にちなむ。現在、地元有志による井手浦尻振り祭保存会が主催し、毎年1月8日に行っている。
当番の男性2人と地元の東大野八幡神社の宮司が、わらで作った大蛇と祭壇の前で「海、山、川」との掛け声に合わせ、豪快にお尻を振った。最後は見物客たちがわらの大蛇に群がり、縁起物として中に入っている干し柿を取り出していた。
出所:2018/01/09付 西日本新聞朝刊 web版
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/385014/
御朱印をいただくのを忘れてしまいましたが、また近いうちに参拝させていただきますので、そのときには忘れないようにします。
神社: 東大野八幡神社
住所: 福岡県北九州市小倉南区母原55
HP: https://higashioono.jimdofree.com/
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