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#52 文通をしたい気分の7月

【文通】なんて言葉、もう誰も使わないでしょうか?

私は、小学2年生〜高校生頃まで、ずっと文通をしていました。

月に一度程度のやり取りを細く長く続けながら、いつも小さな楽しみになっていました。

もちろん、レターセットの収集も楽しみの1つに。

切手も色んな絵柄があります。

可愛い切手を見つけると同封してくれることがあり、それがいつしか、7月のふみの日には限定切手を同封してくれるようになりました。

【ふみの日】知っていますか?

7月(文月)の23日(ふみ)は、郵便局で限定切手が発売されています。

大人になった今でも結構これが楽しみ。

LINEやらFaceTimeやら、どんどん便利になっていくし、便利なものはどんどん使いたい派です。

そんな中で、“手書きの良さ”みたいなものも確かに感じています。

久々に文通をしたい、


そんな気分のお話です。





手書きの良さって、あると思います。

息子が字を書けるようになってからはますます、苦労して書き直した線や、消しゴムの跡を見ながら感じるようになりました。

プレゼントにちょっと添えてあるメッセージカードや、実家からの宅急便に入っているお母さんの走り書きみたいなやつ、伝言の付箋、などなど、、、

ちょっとしたものでも、そこに温かみがあって嬉しかったりします。

私が長い間続けていた文通の相手は、小学1年生の頃の担任の先生でした。

定年退職をされて学校を離れた後に、何となくお手紙を出してみたのが始まりで、そこから何年もやり取りを続けることになります。

そもそもなぜ、お手紙を出そうと思ったかと言えば、学校嫌いを救ってくれた先生だったからでした。

なぜ学校が嫌いになったのか?

登校初日の帰り道に迷子になったからです。(笑)




忘れもしないあの日。。。


幼稚園から一緒で、小学校でも同じクラスになったAちゃんに、「一緒に帰ろう?」と誘われました。

私は、帰り道の目印にしていたスーパーが、Aちゃんんの家の近くにもあるか聞きました。

「あるよ!」その一言で、

「なんだ〜、結構Aちゃんとも家が近かったんだなぁ〜」と安心して付いて行きました。

そのスーパーは同じスーパーの別店舗で、自分の家とは真逆の方向だとは知らずに。。。

全く知らない景色が続き、明らかに方向が違うと確信した時はもう遅く、「やっぱり戻るね!!」と、何ともない風を装って言ってみたものの、戻り方もサッパリ分からない。

泣きたいのを我慢しながら歩き続け、1時間近く掛けてようやく学校まで戻ってきた時、驚いた様子の担任の先生に会いました。

「まだいたの?大丈夫??」

と、声を掛けてくれたものの、迷っていたと言ったら怒られるかも、という謎の子ども心理が働き、ここでもまた、何ともない風を装ってしまいます。

結局、家に着いたのは、下校時刻の1時間半後、大泣きの帰宅でした。

そんな、ほろ苦い登校初日、次の日からは登校の道も学校も怖くなり、母は担任の先生に相談することに。

その時の先生の反応を今でも覚えています。

「ごめんね、気付いてあげられなくて。怖かったよね。ごめんね。」

気付いてあげられなくてごめんね、なんて、人生で初めて言われた気がしました。

私は敢えて自分から言わなかったのに、ごめんねって言ってくれるんだ、、、

なんだか安心した瞬間でした。

そこからは、とりあえず先生に話してみるようになりました。

徐々に不安や心配も和らぎ、学校も普通に通えるようになり、心が少し成長したような気もします。

そんな、何でも話していた延長のような感覚で、お手紙を出し続けていたのかな、なんて思います。




なんとなく返事を出すのが億劫になり、いつしか辞めてしまった文通。

数年前に先生の訃報を受け、もう返事が来ることはないんだと感じた時、いつも変わらない先生の字に、口調に、また会いたくなりました。

毎年、7月のふみの日が近づいてくると、ふとそんなことを考えています。

なんだか、手紙を書きたい気分。

久しぶりに切手を買いに行こうかな、なんて思っています。

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