エヴァの個人的考察
エヴァの結末をみて思う事は
見た人の数だけあるんだろうなと
ふと思った朝。
若干のネタバレ有るかもなので、まだ見てない方はスルーして下さいよ。
放映当初は思春期の子どもとの親子関係と、ゲンドウ君の妻を失った「喪失感・悲壮感」を拭いたいが為のそれぞれの葛藤を描いているのかと思っていた。
(そんな感じの解釈文が結構出回っていたのもある)
シンジくんのココロと葛藤
ゲンドウ君のココロと葛藤
ミサトさんの存在
綾波の存在
アスカの在り方
繰り返し訪れる正体不明の使徒
ゼーレ
死海文書
正体不明の使徒の名は、ユダヤ・キリスト・イスラム教関連の天使からのモノであり
それぞれに悩み葛藤、不信感や不安、怒りや驕りなど、心情を描写するシーンが多かったことも大きい。
劇場版では、TVアニメでは描かれなかった描写が多くあって、かつ映像と音が劇的に進化したので、より新鮮に「魅せられた!」と思ったほど。
前作の作品から今回の作品の完成まで、4年半?だったか、ここまで引き延ばされてもまだ待てるわたし達って、やっぱり凄い民族だよなぁと感心したよ。
出だしの描写は
YouTubeなどで何度も見た「冒頭12分10秒10コマ」のシーンは、何度見ても惚れる…。
そこから一気に昭和の田舎の田園風景。生き残った者同士、お互いが協力し合い村を作り、それぞれが役割分担を担い生活の場が造られた社会は、まるで戦後の日本そのまんまが描かれていた。
やはりインパクトは相当な衝撃を与えた事がよく分かる。
それでも日本人は、自然と共にある民族で、モノがなくても自然の恩恵によって創り出せる「創造主」でもあるなとも思った。
今は便利社会にどっぷりと浸っているげど、見栄と欲望がうごめく社会に散々振り回された時代も終わって、ようやく安堵できる日が来るのではと思いながら
それまでの社会的刷り込みのお陰で、まだ過去の自分を手放せず、今を生きれていない大人たちが、苦しみを抱えたまま生活をしている。
シンジやアスカ、マリや綾波の外見が14年の月日が経っても変わらない「エヴァの呪縛」は、正に私たちの「大人になり切れない大人達」を現しているように思えてならない。
(綾波は量産型クローンだけど…)
本編でも、心開いた友の死を目前にした後のシンジの心情があったけど、アスカの対応と綾波の関わりとを見ていると、とても他人事には見えなかった。
トウジとケンスケの登場は嬉しかったなぁ。
ちゃんと大人になっていた二人。そして委員長と結婚して、医師になっていたトウジ。
初期ロットの綾波が、そんな田舎の生活に馴染む姿がまた可愛いかったり。
便利さはなくて、思いっきり食べる事はできないけど、互いに支え合い笑って暮らせる世の中はやっぱり良いなぁと思う。
最低限の食と生きる為の労働と、自然と共にある生き方は、やはり人を強くする。
コロナ禍で公開延期となった昨年
正に今の公開が必然だったという事に妙に納得した。
大人へと成長したシンジとマリのシーンが
私達が目指す部分は「ソコニアル」という希望が見えた。