見出し画像

もやもやから逃げるなよ、自分。

ーーーーー拝啓 自分探しの旅にでた過去の自分へ。旅にでて、自分を見つけられましたか?自分とは「なにか」分かりましたか?たぶん、答えは見つからなかったでしょう。だって今の私も自分が「なにか」だなんて分かっていないのですから。ひとつだけ言いたいことがあります。それは、自分を探しても、探しても、結局はあなたの心の中にしか自分なんてないんだよ。ということーーーーー

もし、過去の自分に手紙を送ることができるのなら、私はこんな手紙を送ります。自分をさがしていたあの頃、先進的なあの国に行けばなにか分かるだろうって、旅をしにいきましたね。だけど、自分なんて全く見当たらないものです。いろんなところからヒントは得ましたが、結局は自分なんてのは「自分の中」にしかないことを悟りました。

私がなぜ、自分探しをしたのか、そして今現在にいたった経緯をお話していこうと思います。

学校のトラウマ

わたしは、昔から学校が怖くて怖くて仕方ありませんでした。たぶん、それはこの事件がきっかけです。一般的な公立中学に通っていた当時1年生(13才)の理科の授業中です。皆さんご存じの通り、私は疑問に思うことや、興味のあることはすぐに聞きたがるタイプです。よって授業中に「なんで?なんで?」と挙手もせず発言しすぎて、授業をストップさせ、クラス中から嫌われたことがあります。笑
今は笑い話ではありますが、このとき私は、みんなから嫌われるという行為に「なんでなんで!」と疑問を感じていました。でも、周りの目が怖くて、自分の興味本位に蓋をしていました。

画像1

「私の方が授業うまい」という自信

そうやって、自分の聞きたいことを聞けない、不自由な学校に疑問を覚え、いつのまにか授業で発言することをやめました。それと同時に、もし私が先生だったらと妄想するようになりました。もっとみんなで話すグループワークを増やすとか、「生徒に授業をさせればいいのに!」「私の方が授業をもっとおもしろく、本当の学びにつながるようにできる」っていう自信がなぜか机に座りほおずえをつきながら、湧いてきたのです。でも、行動はしてきませんでした。

画像2

受験という評価

そんななか、私の前に現れた壁は「受験」です。一つしかない答えをさがすことも、数字でしか評価されない受験という制度がにくかったのです。なんで人に評価されなくちゃいけないんだ。なんで数字に捕らわれなきゃいけないんだ。私は本当に苦しかった。受験というものを機に、さらに私のもやもやはふつふつと湧き上がってきました。

私が求めていた学校との違い

椅子に座って黒板を書く先生の後ろを見つめ、自分のノートにそれを写すだけの時間。淡々と喋る先生の声を聞きながら、うとうとする時間。この時間から一体わたしは、何を学べばいいのかひたすら考えていました。わたしが知りたかったのは因数分解の答えでも、五段活用でもなく、自分の人生という物語を知りたかったんです。でも学校では、自分の人生を考える授業なんてありませんでした。でもそのもやもやに気づかないように、見ないようにずっと避けてきました。

自分探しの旅にでた若き頃

 大学に入り、自分の人生について考えることが許されるようになった私は自分の人生について考えるいろんな経験をしに旅にでました。世界に出向き、多様な人と出会い、講演会を聞き、メモをとりました。しかし、どれだけ沢山の国に行っても、どれだけ多くの人と出会っても、自分の人生はすっからかんなままでした。

自分がなにをしたいのか、どういきたいのか、ふわふわふわふわ。考えているようで、全く地に足がついていませんでした。

そんな自分が嫌いになって、「自分なんて。。。」と自己嫌悪に浸っていました。どこかに自分のやりたいことを探しにいっても、結局、どこにも答えはなかったのです。人生の迷子になるばかりでした。

救ってくれたのは函館の変な大人達

こんなもやもやしているのに、そこに蓋をしていた私を救ってくれたのは、紛れもなく函館の大人達でした。とくに「木づかいプロジェクト」の変態な大人達は、私自身にチャレンジする機会を用意してくれました。(用意してくれたというか強制された(笑))この人達は本物でした。どんな時も変態で有り続けたのです。変態というのは、自分の世界を極め夢を追い続けている人のことです。そして変態たちは、自分が楽しいことだけでなく、まわりの人をも巻き込み幸せにすることをとても大切にしていました。そして、こんな私のことを見捨てないでくれました。わたしのもやもやはなんだといつも問いかけてくれました。そんな変態たちにもまれるなかで、いつしか私はこの人達と一緒に仕事をしたいと思ってしまいました。

画像3

転換期は「荘」

現役大学4年生の時、東京のある企業に出会い、内定をいただきました。私が将来やってみたかった塾の先生になれる会社です。でも、なにかが違うかもしれないと心の「もやもや」に気づくようになっていました。そんなもやもやしている時、偶然か必然かわかりませんが「旧野口梅吉商店」に出会ったのです。いや、たぶんこれは自分のもやもやに向き合えるようになったから必然です。もし、もやもやに気付くことがなければ、わたしはこの建物に出会うことはなかったんだと思います。根拠はないけれど、たぶんそうだと思うのです。この建物に出会うきっかけもまた木づかいプロジェクトのおかげでした。この建物に出会い、住もう!と決めたとき、わたしは全くの0から何かを創り出すことにわくわくしました。自分でもできるのか試してみたいと思った私はどんどん生きる力が漲りました。なんだか、わからないけれど、とにかくわくわくしたのです。「寒いよ」「学校から遠いよ」そんな風に言われても、「やりたい!」が勝っていたのです。そしてなによりも、使命感に駆られていました。既存の仕事は私じゃなくても、できるかも知れないけれど、学校で違和感を感じた経験をもっている私が学校を創るという行為は、私にしかできないとさとったのです。

画像4

「決めた」自分

使命というものをみつけた私は今、以前よりもずっと生きやすいです。それは「自分で決めた」からだと思います。自分で決めたから納得感があります。そして、迷ってもやもやする時間が減ったのです。だってもう目の前で起きることに全力で挑戦していくしかないからです。毎日が忙しくって、毎日が楽しいです。

さて、こんな私は「自分って何者なのか」見つけられたでしょうか?正解は「いいえ」です。自分の使命感を見つけた私ですら、まだまだ自分が何者なのか、分かりません。笑

でも、なんとなく、こうやって生きたいという自分に近づいている気がするのです。「自分が決めたから」「自分が選んだ道だから」という納得感が私を肯定し、私を私として生かせてくれています。

これが自分で決めていなかったら、やらされ感に浸っていたら、たぶんずっと、ずっともやもやしていました。そのもやもやがすこしづつ晴れてきた私は今日、生きてて良かったと思えるくらい人生を楽しんでいます。

画像5

「もやもや」してこ

こんなの過去の自分は全く想像できないでしょう。でもここまできたのは、過去の自分が当時「もやもや」していることに向き合い続けたからだと思うのです。もやもやすることから逃げなかった、わたしの大学生活の集大成だと思うのです。教育にもやもやしていたことを私はどうしたらすっきりするのかをとにかく考えていました。最初はそのもやもやさえも、全くわからなかったけれども、もやもやの正体が一体なにかということを人に伝えるために言語化しようとしたり、図にしようとしたりする過程でもやもやの正体がうっすらと見えてきたのです。そして、教育について疑問がある、というもやもやが見えてきました。そして、そのもやもやをすっきりさせるためにここ、「わらじ荘」「みなも荘」では全く新しい、自分が中高生のときに欲しかった学び舎を作ろうと閃いたのです。だからもやもやすることから逃げずに向き合った先になにかがあるとは確信しています。もやもやは違和感。その違和感はほかの人には考えつかないようなワクワクさせるようなものを生み出す材料です。それに気づけただけで花丸。だからそのもやもやをひっこめないで、言葉にしたりしてみてほしいのです。だから、極端にいうならば、これからの時代は、もやもやに向き合えたもの勝ちではないでしょうか。

画像6

最後に

あれだけ人生に対してもやもやしていたことが、今現在はすこしづつ整理できてきたのは、紛れもなく、自分がただただやりたい事をやっているからだと思うのと同時に、何より自分が今やっていることが本当に意味のあることだと誇りを持っているからだと思うのです。今も、うまくいかないときがあるけれど、うまくいくまでやり続けることを忘れられません。それは一緒に住んでいるみんなに、「あんなさん、もやもやしてるその原因から逃げてんじゃねーぞ!」って言われてる気がするから。全てを見透かされている気がするからです。だって一緒に住んでるもんね。だから、わたしがここまでもやもやに目を伏せずにやってこれたのは、そうやって向き合うことから逃げさせてくれない最高の仲間達がいるからだと思うのです。もやもやは一人で向き合うものではない。みんなに協力してもらって向き合っていけばいいのです。そしてそれは、今すぐじゃなくても、焦らなくてもいい。その人なりのタイミングでいいと思います。ただ、わたしは、私のもやもやと向き合うタイミングが今だっただけだと思う。

画像7


いただいたものは、全て大切なひとに、そしてまちに、使わせていただきます。