新婚生活

朝からいい天気だから、洗濯機を3回回した。コンロやトイレ、シンク、風呂場の掃除もしたし、掃除機もかけた。昼食は、残り物じゃなくてカレーうどんの糖質0麺バージョンを作った。本を一冊読んだ。「何かした自分」に安心するために。



入籍から一ヶ月と3週間、同居を始めてから2週間ちょっとが経った。飯を作り、掃除をし、本を読み、面接対策をし、料理のレシピを集め、彼が帰ってきたら一緒にテレビを見、一緒に寝、朝は彼を見送る日々だ。

信じられないくらい穏やかだ。狂いながら働いていたあの日々が嘘のようだ。いや、むしろ今の暮らしのほうが嘘に思える。あるいは、これから来る大きな不幸への伏線。バチが当たる前のかりそめの幸福。それともこれは、あの死にそうな日々へのご褒美なのか?それにしては、幸せの配分が過剰な気がするけれど…。

専業主婦も、大変。それは一般的にはそうだと思う。実際献立を立てるのも、手際よく家事をこなすのも、慣れていないから大変だ。

それでも、あのときよりよっぽどましだよ。比べるのも失礼なほどに。今の大変さは、あの頃のそれと比べたら薄っぺらだ。口が裂けても私は今大変だなんて言えない。心の負荷がなさすぎて、不安になるくらいだ。時々やってくる、「今私はなんて無駄な日々を過ごしているんだろう」という虚無感さえ貴重だ。

ボロ雑巾のように働いていたとき、周りが結婚しようが転職しようが、「私はまがりなりにも立派に働いている」という自負が支えになっていた。仕事を辞めて非正規雇用で働いていた頃には、何者でもない自分がひどく宙ぶらりんで、心細かった。今の私は、結婚により転居と退職をした専業主婦という、大義名分のある無職だ。大義名分があることは、ありがたい。先日の面接で、直近の退職理由を聞かれ、「結婚のため転居をしたからです」の一言であっさり納得されたことが心地よかった。その一つ前のことについては、根掘り葉掘り聞かれたのに、理由が結婚だと、こうも世間から認められるんだな。世間から認められることで、とても生きやすくなる。他にも税金を節約できたり、周りからも公的に認められたり、私は結婚することでとても合理的な恩恵を受けた。何より、自分が好きな相手と一緒に暮らすことは、それ自体がとても楽しい。



彼は、元から結婚願望が強かった。一人で生きていくには十分な経済力があるのに、何故?世間体のため? と付き合って数カ月のときに聞いた。それまで私は、結婚とは退職のための唯一の真っ当な手段だと思っていたからだ。彼はこう答えた。

「好きな人と、公的な保証のもとに安心して一緒に暮らしていきたいから」

聞いた当時は、ロマンチックな人なんだな、と思ったが、今になってこの意味が分かった。確かにね。そうだね。

死にたい夜の先に、私は今立っている。どうせまた、どうしようもない気持ちに襲われる日は来る。それでも、どうかこんな幸せが長く続きますようにと願わずにはいられない。


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