治療あれこれ。

前の情けない記事読んでいただけていいねもありがとうございます。調子に乗ってまた書いています。少し脱線しましたが、悲しみの沼というか森を抜けてさぁ頑張りますかと腰を据えた時、マイルールを設けました。

1.がんは敵じゃない 戦うなら自分とだ。

色々調べてみたけど、がんはどこからか来たわけじゃない自分の身体から生み出されたもんというのは理解が出来た。細胞やら遺伝子やらいろいろと何かがあって「悪性」となって出来てしまった腫瘍。敵だから排除して終わりっていうわけじゃない。もうこんな悲しい子が出来ないように身体を整えていかないといけない、今すぐに身体は変わらないがここから変えて行かないとまた悲しい子は生まれてしまう。出来る事でいいから、身体に良い事をしていこう。夜はちゃんと眠る、ごはんはカロリーはとりあえずおいておいて自炊をしよう、好きな事をしよう、どこかへ出掛ける時は歩いて出掛けて身体を動かそう。抗がん剤をこれから打つ。物凄い事が身体に起こる。限られた時間できちんと対応できる身体と精神を作るぞ。そしてその先もやっていけるような「良い習慣」を身に着けて行こう。

2.情報はある程度ネットで探す。欲しい答えは一つの情報じゃなくて複数を見付けて一番多いアンサーを6割信じる。

便利になったもので、インターネットには凄い情報が溢れている。色んな事がある、欲しい情報も過剰に入ってくる。過剰に入ってくると考えすぎてしまう。だからあえて見ない事も大事なのだ。がんは私は「精神病」だとも思ってる、そんくらいメンタル持って行かれる。鬱という物の扉を何度叩いたか分からない、その扉がそこかしこに転がっている、ネットには特に。なので病気の情報は先生と、副作用の対応、食べない方がいい食べ物大分類と。だけどカップ麺とかマクドナルドとかね、美味しいじゃないですか、大好きなんですよね。これらを我慢は大きくはしませんでした。古い友人が「身体に悪い食べ物は心にいいんだよ、だから沢山じゃなければ食べようよ」と。この言葉が勇気をくれました。そう「精神病」だから心もケアしていかないとなんすよ。あといまだに一人もいませんが、がんの友達も作っていません。当時は同じ気持ち共有できる人欲しいなと思ったけど、私が元気をもらえるのは周りの人の「生きてる感じ」だった。あとは己ね。がんの友達だなんて寂しいじゃん、普通の友達作るでそしたら。また話しがそれましたがインターネットでの情報収集は程々に。ブログは悲しい物だと気持ち引きずられちゃうからあまり見なかったけど、一つ、前向きさも建前じゃないのんびりと自分と向き合ってでも楽しく穏やかに治療と向き合ってる方がいてその方のは読んでました。更新はもうほぼ止まっているけれど、=再発もないって事だよね。たまにぽつぽつ出るし。

3.オタクをやめない。

これをなくしたらワイは終わりや~~~~!!!当時黒〇のバスケに激はまりしていた。モンハンも凄い好きだった。オタクが無ければ、マジでガチで気持ちは引っ張られてダークサイドに行ってました。私がジェダイでいれたのはオタクのおかげです。片手にはペンタブ(またはアップルペンシル)と言う名のライトセーバー。盾はピクシブやついったを漁るあいぽん。サブ上本は3DS、そしてそれらを共有する仲間。おれの武勇伝それは、抗がん剤の一個目、最終クールを打つ日まで原稿をしていた事が一つ。家でプー太郎なのによお、時間もくっそあるけど、睡眠時間・運動・料理時間をキープしているために活動時間は思ったよりなくギリギリだった…。入稿して病院へ行き抗がん剤をうち、帰って来て1つめのやつは吐き気するやつなので帰って来てう~~~~んきもちわり~~ってなって「わたし…ガンなのね」としんみりしている所に無情に鳴る印刷所の電話。「表紙のデータ1ミリ横が足りないので入れ直してください!」「わ、わかりましたあ」しんみりしてらんね~~~!!具合悪いマックス時にパソコンに座り表紙手直しして入稿した…でもおかげさまでいつも三日は続いた吐き気がその日はスコーンと眠れて(笑)次の日からもりもりとごはんを食べれた。抗がん剤うって3日目でこみっくしてぃにも行った。どうしても欲しい本あって…勿論事情話している友人に同行を頼んだ、休憩をいやという程とりながら手にしたウスイホン…涙が出た。買って来てくれると言っていたが、オマケは一人一個なん~~~~同じカプの友達には頼めへんねん~~~~あと、動きたかったんだよな…でも友人めちゃくちゃありがとう。

一つ上の事にも言えるけど、インターネットで乳がん、ステージ、生存率、というのは2,3回しかまじで検索していない。そんな漠然としたもんで精神ダメージ受けるよりも、思ったより日にちがないなってダメージ受ける印刷所の締切確認の方が大事だし、心も身体も大事にしてやらんと。先生が割とクールだしひでー事もずばっというK先生だからかもしれない。明日しにますとかもねズバッと言いそうだな~~~その先生からの情報プラスアルファでいい。

発覚が2013年10月、その二か月後から抗がん剤治療がスタートしました。ウイッグ探しも過去コスプレもしていた自分は結構楽しみながらしてしまっていた…(笑)髪の毛は抜けるけどまた生えて来る、寂しいし怖いし始まったらどれだけ辛いのか、と考えたけれどこの二か月、死ぬかもしれないから治療頑張ろうぜ!!に切り替えたので乗り切れる気がした。そして乗り切れた、禿げは辛いが抜け切ると掃除が楽!!!アトピーも良くなった?気がする。でも夏場のウイッグ&帽子はきつくて辛かったな~~~そんくらい。吐き気も厳しかったが一度も吐かなかった。大体その前には高級なもんだったり好物を食べて「出すもんかちくしょう」と堪えた。その吐き気よりもドセキタキセルの味覚障害がきつかった。大好きな「塩」味がしない。苦く感じるんだ、しょうゆと塩が大好きなので涙目。でも甘味は凄く美味しく感じたのでダシと甘味のあるものを食す。地味にこれが4,5日続くのがきつかったのう。一回目は3,4日ベッドから起き上がれなくてスマホも見れないので辛かったけど、昔好きだったアーティストがたまたまラジオをやっていて、懐かしいな~~~なんて聞きながら過ごした。ラジオいいね、今も朝はラジオを聞いています。