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殴り書き

現在、朝の5時23分。

子供が泣いて起きたのでミルクをあげたところです。
いつもはあげ終わるとすぐに一緒に寝る(グズッてそのまま寝てくれない時もあるけど)のですが、今日はなんだか眠れず。

というか、妹の事を思い出してしまいました。

思い出す事は日常茶飯事、というかアニメやドラマ的な言い方すれば妹は(心の中に生き続けている)んですが、

今日はそういうのと違って。

妹がICUで過ごした後にこの世からいなくなるまでの1週間が始まる日、
救急車で運ばれた日。
その日私は飲み会でした。

飲み会はとても楽しくて、そのまま友人達と先輩の家に泊まって、朝起きてゆっくり朝ごはんなども頂いて帰りました。
そして、ちょうど私が帰宅した頃に救急車が家の前に止まって…
(この後の事は詳しく初期の方の過去記事に書いてあるのでよければ探して見てみて下さい。
いつもならURL貼り付けるんだけど今日は割愛させて下さい。
今日はタイトルにも設定したようにこの記事は殴り書きしてます。
お見苦しい点あるかと思いますがご容赦下さい。)

今、その日の事を思い出しちゃって、
あの日妹は今くらいの時間に意識を失ったのかな。
1時間位前に薬を飲んだのかな。
私が泊まったりせず帰っていれば、気付けたのかな。

私の部屋は妹の部屋の隣だから、いつもスカイプしながら友達とオンラインゲームとかしてる声が聞こえてたんだけど、
あの日もし泣き声やへんな物音なんかしてたら気付いていたかも知れない。
そもそも隣に私がいれば思いとどまったかも知れない。


この考えを、ずっとずっと抑え込んで生きてきたように思います。
考えて考えて考えて、後悔してしまうと多分心をやられてしまうから。

私の中の防衛本能もしくは生存本能的な何かが働いて、この日の事を思い出さないように、自分を責めないようにしているのです。

その事実を私自身は自覚しており、
この考えが浮かんで来た時にそこから目を逸らすように、いや、自然とモヤがかかってくるような意識状態へ持って行っている私自身も認識しています。

今、noteを開いて無の表情でここに書き殴っている事もひとつの防衛本能なのだろう。

七回忌を過ぎてもこんなもんです。
こんな感じに日々生きています。

けど、大切な人を失った人ならば大なり小なり後悔はあるんじゃないかなぁ。
私は物事を客観的に見たり、良くも悪くも他者の気持ちを汲み取ろうとする癖があるので、
辛いのは自分だけじゃない、みんなきっと乗り越えているはず、
そう思う事で、
油断すれば次々に襲いかかる悲しみの波の一つ一つを乗り越えたり、時には身を委ねたりしながら生きています。

この間お盆だったから変に思い出しちゃったかな。

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