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おっとこ前には果実が似合う

春はあけぼの
夏は夜
秋は夕暮れ
冬はつとめて。

春夏秋冬、全ての季節に独特の趣があるけれど、私は梅雨の時期だけがとても苦手である。朝から気分が塞ぐ日もあれば、無意識のうちにため息を数えていたりする。訳もなく悲しくなったり怒りっぽくなるかと思えば急に気持ちが昂り、お天道さんを見上げてはまた肩をがっくり落とす。

その理由はもう長年の付き合いであり腐れ縁、運命共同体とも呼べるこのくせっ毛がまるで言うことを聞かないからである。


物心ついた頃より大きなコンプレックスであるこのくせっ毛は、特に梅雨時期ともなれば持ち主の意向や強い意志に反し、徹底的な反骨心をメラメラと燃やして抗おうと奮起する。
所有者自身も素直にクセに従うのも癪なので、シャンプーを変えたりスタイリング剤に応援を頼んだりしながらせめて五分五分の戦には持ち込みたいと気合の抗戦を試みるが、一番厄介、かつ強力な「湿気」という難攻不落の味方を持つくせっ毛には手も足も出ないのが現状である。


以前、「アルデンテな人生に乾杯を」という記事で紹介させていただいた大学時代の友人の助言により、“クセを伸ばす”のではなく、“クセに抗わず身を任せてクセを活かし、なおかつ共闘する”という逆転の発想を会得、私は二十数年間もの間、師匠の言葉を無垢な心で実行して来た。

そんな絶え間ない努力が、この梅雨の時期だけにおいてはまるで通用しないばかりか、かえってこのくせっ毛の勢力をとんでもなく増大させてしまう。

勤務先に着き、タイムカードの打刻のため事務所へ向かうと、朝の一番から大ベテランの事務の女性スタッフにこう言われる。

「松本さん、どうしたの?その髪、わざとじゃないってのは分かるしあんまり容姿いじりはご法度なご時世だけれど、それ、なんとかならない?コント番組で頭が燃えたか爆発したように見えるんだけど。それで接客したらお客さん、びっくりするんじゃない?レゲエでも始めた?」

笑われた方がまだマシである。

真剣な眼差しでそうツッコミを入れられると私もなんと応えれば良いのか言葉に窮し、「すみません。いろいろ努力はしてますが、遺伝と湿気には敵いません」と、見苦しい言い訳をするしか方法がないのである。

前置きがとても長くなってしまったが、私がその男性と出会ったのは、そんな意気消沈した、憂鬱な、ある日の朝であった。

「えっと、スミマセン忙しいっすよね?今度店長としてこちらの店舗に赴任して来ました〇〇と言います。今やっとアパートが見つかって、次のシフトから勤務開始なんで、よろしくです!!」

私がレゲエマンなら、この新店長と名乗る人物はパンクロッカーというような出立ちで、両手の指にはドクロの指輪、十字架のネックレス、シルバーのピアスに極め付けはすね毛を見せびらかすような見事な短パンである。

近くにいた女性スタッフやアルバイトの男の子も、「えらい軽い感じの店長ですね。挨拶に来るのにあんな格好しますかね?」と驚きを通り越して唖然としていた。

「ま、休みだけん、いいんじゃない?仕事出来るかどうかたいね」

と私は答えたが、内心は「なんだこいつ?常識ないなぁ」と思っていた。

私の勤務するドラッグストアにはいくつかの勤務体系が存在する。
全国の転勤が可能か、九州圏内の異動が可能か、同じ県内のみ可能か、そして私のように、自宅から車で通える範囲のみ可能か、など、細かく言えばもっとあるが大雑把にはこんな感じで、その異動範囲によって給与や手当に差があり、昇進の幅、スピードなどにも多少影響があると言われている。

このパンク店長は、大学を出て四年目、全国勤務可能な一番の出世頭だという話であった。

案の定、勤務が始まってもよくスタッフと衝突していた。
お店のやり方などにどんどん注文をつけ、「うちはチェーン店なんで、きっちりマニュアル通りやってもらっていいっすかね?独自のやり方とかって本当はダメなんですよね。」

と、もちろんこの店長の言っていることは正しかったし、企業として、管理者としては至極当たり前の言い分である。

しかし何も聞かずに頭ごなしに否定されては、ここで長年務めている年配のスタッフにしてみれば、「街によってはお客さんの層も都会とは違うし、やり方もいろいろとあるじゃないか?」と、こちらも真っ当な意見に私は思えた。
なんとかうまくまとまらないかと思ってはいたが、その溝はなかなか埋まらなかった。

ある時、急な欠勤者が数名いてお店がてんてこ舞いの日があった。
私は医薬品の担当者ではあったが、ビールや飲料の品出しが全く間に合わない状況になり、すっからかんの冷蔵ケースにビールを補充し、倉庫から長台車にケースを積み込んではまた倉庫に行き、何度も往復して汗びっしょりになっていた。このくせっ毛も反乱と氾濫を起こしそうな勢いであった。

そんな中この店長がのんびり倉庫にやってきて、「どうしたんすか、そんな顔真っ赤にして汗かいて。そんなに忙しいんですかね?このくらいで。ビールなんて無くなってからまとめて補充した方が効率的じゃないっすか?
出しても出しても無くなるんなら、少しづつ補充しても無意味っすよ」

流石にカチンと来たけれど、言い合いする時間がなかったので、私はこれみよがしにケースを積み込み、何度も往復することで無言の抵抗を試みた。
思い返してみても、自分は器の小さい人間だったなぁと、今ではとても反省している。

そういうやり取りや、ちょっとした小競り合いや言い合い(店長本人はそんな気持ちは全くなかったらしいが)がしばらく続いていたある日の夕方、倉庫で大きく息をする声が聞こえた。
駆けつけてみると、店長が首にタオルを巻きひとり大量の荷物を片付けていた。すぐ近くには二リットルのスポーツ飲料のペットボトルが二本置いてある。服は汗まみれでシミが出来ており、粉までふいている。

「店長、ひとりでやってるんですか?っていうか休憩とかちゃんと取ってますか?」

と尋ねると、「気にせんで下さい。倉庫整理は店長の仕事だと思ってるんですよね。まぁ地味っすけどね。ご飯はゼリーとか食べれば平気なんで。この店は納品が多いんで、誰かが常に倉庫を片付けていないととんでもないことになりますから。おれ、こう見えてきれい好きなんですよ。意外でしょ?」

と、大粒の汗をカッコつけたような仕草で拭いながらニコッと笑った。
初めて目にした笑顔のような気がした。

休憩も取らず、毎日この作業を黙々していたんだと思うと、申し訳ない気持ちと、もっと指示を出してくれたらいいのに、という焦ったい気持ちが重なり、私も頭を掻きながら片付けを手伝っていた。
そして何より、今まで見た記憶がない程にお店の倉庫は整理整頓され、見違えるほどになったことを、心の中で感謝した。

程なくして、店長はまた異動となった。
そしてその後すぐ、会社を辞め奥さんと二人、実家のある宮崎へ帰ったと風の噂で聞いた。
何かあったのかな?と、少し心配ではあったけれど、この職種は入れ替わりも激しいのでいつの日か思い出も薄らぎ、何事もなく皆働いていた。

その店長(元)が、つい昨日ひょっこりお店に現れたのでスタッフもみんな驚いた。頭は丸坊主、年季の入ったキャップを被り、ピアスも指輪も無くなっていた。その代わりに小さな女の子が二人、恥ずかしそうな顔で両脇にくっついていた。
可愛らしいキュートなお嬢ちゃんだ。

いろいろ聞きたいことがあったけれど、とりあえずの現状を尋ねてみた。

「いやいや、あん時は挨拶も出来ずにお別れしてしまってみなさんには本当に申し訳ない。実は妻が妊娠しまして、身体のことも心配だし、転勤で連れ回す訳にもいかないし、妻と両親とじっくり話し合って自分の実家の農業を手伝うって決心したんですよ。親父ももう年齢もだいぶいっちゃってるんで跡を継ぐつもりです。おれもここでお世話になってた時よりおっさんになってしまいました。松本さん、あの、いろいろとすみませんでした。生意気なことばっかり言って。ひとまわり以上も上の人に自分勝手過ぎることばっかり言ってました。いつか缶コーヒー飲みながら、お子さんのこと話してくれましたよね?小さい子が家にいるからなかなか転勤が出来なくて、たとえ給料が安くても我慢しないといけないって言ってましたよね?おれ、生意気に、男ならやっぱ全国飛び回った方がいい経験になりますよ!なんて、思い上がったことペラペラ喋って、反省してます。子供が出来て父親になって初めて分かりました。ほんとすみませんでした」
と、申し訳なさそうに軽く頭を下げてくれた。

「いえいえ、自分も上司に対していろいろ生意気なこと言って反省してますから。店長、ひとりで毎日倉庫整理してたでしょ?あれ、みんなに教えたら、見直したって言ってましたよ」

どうやら家族みんなでちょっとした旅行に来たらしかった。
少し後ろで奥さんが、両脇では双子ちゃんが笑っていた。

自分が作ったものですと、みかんをお土産に差し出してくれた。
美味しそうな夏みかんだった。
店長の手のひらはあの頃とはうって変わって傷だらけだった。
顔も腕も日焼けして、このみかんのようだった。

この人も、家族のために日々戦っているんだとふと思った。
出会ったのは、やがてやってくる梅雨の時期だったなぁと、とても懐かしかった。

「パパ、お友達の人?」

と、双子ちゃんが同時に聞いていた。
美しいコーラスだ。

「あらあら、店長に似ずによかったねぇ。こんなに可愛い娘ちゃん。」
と一番最初に言い合いをしていたおばちゃんが笑いながら、天使のほっぺを優しく撫でていた。

このみかんもきっと美味しいんだろうなと思う。
汗と涙で出来た果物だから。

「店長、だいぶ男前になりましたね?」

とふざけて言うと、はじめて会った日のような仕草で親指を立てて、得意気な表情をした。

なんだ、相変わらずの生意気な顔じゃないか。

不恰好ででこぼこで、誰よりかっこいい。









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