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『少しだけなら』レビュー

『少しだけなら』

あらすじ
病気で入院している小学三年生の「私」にお母さんが「院内学級」を勧めてきた。「転校して友達と離れるのはいやだ」という私を、母は、退院したら三年三組に戻れる、新しい友達もできる、と励ました。翌日、院内学級に登校すると、田中先生が笑顔いっぱいで迎えてくれた。田中先生は担当医でもある。子ども達とも挨拶を交わすと、私は「3年3組みたいだ」と思った。休み時間は、一個上のあさみちゃんと、あやとりやなぞなぞをして遊んだ。窓の向こうをぼうっとみていると、あさみちゃんが「どうしたの」と話しかけてきた。

「みんな友だちだよ」

彼女の言葉に私は小さく頷いた。あくる日、手術を迎えることになった。院内学級のみんなも、3年3組のみんなも寄せ書きを送ってくれて、私は喜んだ。


私は入院したことがない。だから病院独特の感覚を知らない。
規則正しい生活がつまらないだろうか。隣のベッドの住人を頑張って無視しないといけないか。お見舞いに来る人数の多さで、同室内に序列ができたりするだろうか。わからない。ただ、長いこといる人間のほうが病院に対する漠然とした不安や、知らないことが少ない分、また看護師・医者たちとの人間関係が出来ている分、リーダー風に吹かれるかもしれない。ところがそれは同時に、自分の治療のむつかしさを示すことにもなるだろう。医者や看護師、患者同士の仲がいいというのは、命の危うさの裏返しでもあるか。

病気治療中の一つ上の生徒「あさみ」が私に話しかけた。あさみは、ぼうっと空を見上げる私に、「みんな友だちだよ」と声をかけた。一瞬言葉に詰まるかもしれない。あさみが私にそう声をかけたのは、飛んで行ってしまいそうな私の気持ちを繋ぎとめるためだっただろうか。いや。それよりももっと、子どもらしい、ダイレクトな共感があったと思う。友達と別れるのが嫌だ、知らない場所と知らない人たち、手術、病気。子どもが抱えるには重たすぎる状況が、いくつも積み重なる。実際どうかはわからない。しかしその立場では、そんな想像が、カーテンで仕切られた夜中のベッドのなかで浮かんできても、不思議はないだろう。不安な気持ちがわかる。だからもう色々「すっ飛ばして」しまえるのだ。私がうなずく「だけ」だったのは、決して、相手を信じられないとかすぐに別れてしまうから、理解されないと思っているから、とかではない。ただ「声がでなかった」のだ。

「頷くことは完全な同意として機能しない。つまり私はあさみと友達になることを渋った」
と解釈するのは、明確に誤りだ。この時、着眼しなければならないのは、うなずき行為が持つ肯定性やその深度だけではない。むしろ、なぜジェスチャーを選択したのか、という点だ。選択と言えるほど時間はない。判断だ。あさみが「友だちだよ」といったのは、同じ不安への共感があったからだ。立場が近ければ、お互いの距離も自然と近くなるだろう。

いや、もっと瞬間的だ。

ぼうっと空を眺める子に、子どもがかけてあげられる言葉はそれしかなかった。大丈夫?よりも先に上ってくる言葉だったのだ。そうでなければ、あの言葉は出てこない。論理で状況を解釈したから出てきた言葉ではないのだから。私は、その瞬間の言葉に、声がでなかった。

私たちは、どういうときに声が出なくなるだろうか。驚いて息をのんだ時。感動したとき。怖い。嬉しい。悲しくて、嗚咽より先に涙ばかりが出ることもあるだろう。友達だと言われた驚き、みんなが迎え入れてくれた喜び、手術への不安。様々な感情がその時同時に迫ったからこそ、いろんな気持ちが混ざっているからこそ、頷くしかなかったのではないか。

手術があけ、しばらくしたある夜。パーテーションに区切られた自分のベッドの上で、私は明日のことを考えた。院内学級にいく。みんなにさよならを伝えるためだ。クラスメイトと呼ぶには短い時間だった。

友達だった、と思う。

病院の廊下で会ったらお互いに手を振った。苦しそうな時には、声を掛け合った。それで痛みがどうにかなるわけではない、のに。お見舞いごっこもした。折り紙でお土産を作って、もらった人はそれを冷蔵庫にしまったり、「これ切って食べよう!」と言ったりする。「退院したらディズニーランドに行こうね!」などと励ましたりもする。

「短い間だったけど、ありがとう」

私はそう言いたかったのだと思う。みんなの前で健康に立っている私は、車椅子に小さく収まった1年生の子や、点滴につながれた細身の先輩の顔を見れなかった。看護師さんたちが微笑んでいた。担当医の先生は「緊張しちゃったかな」と肩に優しく触れてくれた。

だから笑顔で見送ってくれたのかもしれない。私が何も言えなかったから。何も言えない方が、もっとたくさんのことを伝えられる。なんでも言葉にできるよりも、もっと通じ合える。院内学級のことは忘れてしまったけど、一緒にあやとりをした子は、いま私の隣でいびきをかいている。

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