見出し画像

若気の至りのはずかしさ:Anizine

経験則とか統計とか、使い方を間違えると若者からオッサンだと揶揄される言葉。それが老害という気持ち悪い言葉にならないためには事実が伴わなければいけない。

かくいう俺も若い頃には「無知なこと」を武器にしていた時代があった。

広告のスタッフには、クリエイティブディレクター、アートディレクター、コピーライター、デザイナーなどがいる。プロジェクトが発生すると基本となる外枠のコンセプトと戦略をCDが決め、その指示のもとに、コピーをC、視覚面のコンセプトをAD、デザインをDが具体化する。

巨大なキャンペーンではもう少し複雑な場合もあるが、ベーシックにはどこでもこのスタイル。若い人は最初にD、もしくはデザイナーのアシスタントとして案件に参加することになる(テレビでいうADという略称はアシスタントディレクターだけど、広告ではADがCDと並んで監督の立場になる)。

ADのやり方にもよるが、デザインチームはどういうビジュアルにしたらCDが考えたコンセプトを映像にできるかを全員で考える。デザイナーのアシスタントにほぼ発言権はないが、独裁的でなく民主的な現場なら、ADとDが一緒に考える。

だいたいの場合、CDとADはDよりもキャリアがあるので年齢が上。そこで若いDが「こういうのはどうでしょう」とアイデアを提案したとする。でもCDとADに却下される。未熟さが理由のことがあれば、年代ゆえにその面白さが伝わらないこともある。俺が使っていた魔法の言葉が、「おっさんは知らないと思いますけど、若い人はこういうのが好きなんですよ」だった。こんなタレント知らないでしょ、こういうバンドが人気あるんですよと、おじさんが聞いたことがないモノを提案するので苦々しい顔をされる。

この作戦のいやらしさは、正攻法ではかなわないから「相手が戦えないフィールドに持ち込む」ことで優位に立つ方法だった。「へえ、そういうのが流行っているのか」と素直に納得してもらえることもあれば、ただ「知らねえよ」と却下されることもあった。でもそれが若者の過激な役割のひとつでもあると今では思う。オッサンが若者に媚びた表現をしてガン滑りするのを見ると痛々しいから、これを指して「老害」というのは正しいと思う。おっさんがキャスティング会議で出すアーティストの名前は、4年2ヶ月くらい遅れているものだ。

画像1

そのうち自分が年齢とキャリアを重ねて、DからAD、CDの立場を経験するようになると「こういうのが流行ってるんっすよ」タイプの若者と対峙することになる。ああ、自分はこんな風に迷惑を掛けていたんだ、と痛いほどわかる。あの時のスタッフに謝りたいと思う。

Dの時代の過激な振る舞いには若気の至りとしての価値があるとして、ADになってからの収束する責任、CDになったときは企業の商品開発やマーケティング、コンサルティングに関わる部分まで、段階的に能力を磨いていかなければいけない。

この財産は「却下された経験」の種類や数だと思っていて、先日テレビのディレクターが、現在の人気番組を作るまでたった一度も番組の企画が通らなかったと教えてくれた。その数百の「消えていったアイデア」はただ消えていくのではなく、却下された、実現できなかったという事実として自分の中に蓄積されていく。

自分だけでやっている自主制作のように誰からも却下されない場にいると、能力は向上しない。そして、たったこれだけの文章を読んでも、勘のいい若者は自分に足りていない部分に気づくことがあるから、そういう「質のいい人」のためにおっさんは恥ずかしさと揶揄に負けずにこういうことを書く。まあ、有料なんだけどな。(今回はメンバー以外も読める無料記事です)

ここから先は

0字

Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。