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モナリザと、ろくろ:写真の部屋

たまに「自分が撮った写真を見て欲しい」とリンクが送られてくることがあります。一応見てみるんですが、とてもいいものを見たなあと思わされることはほとんどありません。ソーシャルメディアを介して発見するいい写真は数限りなくあります。でも、それは「発見されるべきルート」からやってくるのです。さて、そのルートの違いとは何でしょうか。

ポートレートの場合、写真は、撮る人とモデルの合作と言えます。もちろんヘアメイクやスタイリストも含めてですが。その写真からこちらが読み取るものは、何をどう撮りたかったかという ”意図” に他なりません。それに沿ってモデルはポーズを取り、カメラマンは撮影をします。でも「ただ人が写っている」という写真を見ても何も感じません。ご丁寧に使ったカメラやレンズのスペックを書いているのですが、そんなことはどうでもいい。

自分が撮ったことを楽しむのならそれでいいんですが、写真を見た人の感情に何かしらの変化が起きないと、見てもらう写真にはなりません。

インタビュー写真で「ろくろ」と呼ばれるポーズがあります。人が何かを説明するときに手を動かして話すことがありますが、それが陶芸のろくろを回す姿に似ているところから名付けられたようです。これは撮る人が「人が話しているっぽい写真はこれだ」という決めつけで固定化されたポーズであり、褒められたものではないのですが、自分がインタビュー写真を依頼されたときに無自覚に模倣してしまうのです。

俺は自分がインタビューで写真を撮られるときは、絶対に手を動かさないで話すようにしています。くだらない「ろくろの瞬間」を撮られたくないからです。こういう形骸化したパターンを模倣しても何もいいことはありません。過去にどこかで見たものを真似することで自分が巧くなったと勘違いする人は多く、だからポートレートでもモデルがレンガの壁に顔をくっつけているポーズを撮るのです。あなたは日常的にそんなポーズを取ったことがありますか。

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写真の部屋

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。