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元気な入院患者:Anizine(無料記事)

自分がわからないことについては、発言しない。
自分が関係しないことへの感情的な判断は避ける。

これは単純に聞こえるけど、とても大事なことだと思っている。「自分が関わるべき領域」を決めるというのは私生活でも仕事でも同じことで、領域のアウトラインを正確に決めておくと、無関係なことにみずから首を突っ込んだり、向こうからわずらわされたりするのを減らすことができる。

そして、不幸なことにひとたび自分が発言したことが原因で何かの問題が起きたとしたら徹底的に対応する義務があることも知っている。俺は本を書いているし、文章を書いてお金をもらっている。「書いたものをお金を払って読んでくれる人」がいるんだから、そこに責任が発生するのは当然だ。

人はそれぞれ違うバックグラウンドに生まれ、育っていくが、その結果としての優劣を競ってはいけないと思っている。誰も他人のことを攻撃したり、不用意に持ち上げたりしないほうがいい。

それぞれ人には言えない苦労やネガティブな部分があるだろう。言う必要がないから黙っているのだとしたら、そこを無闇に掘り起こしたり軽々しく扱ってはいけない。それが配慮や優しさだと思うんだけど、物質的な優劣を競う価値観の信奉者は、配慮や優しさを人としての「ゆるさ」だと断じて見下す傾向がある。

あなたの苦境は努力が足りないからであり、自己責任だ、という。

近代的な福祉、社会保障は、社会が複雑化して「働かざる者食うべからず」といった原始的な解釈では対処できない構造が発生したから生まれた。現在の日本では、ごく一般的なサラリーマンは休まずに真面目に仕事をしても贅沢ができない経済構造になっている。

日本は過去に「一般社員と経営者の報酬の差が少ない平等な国」であるとまで言われていたが、今はどうだろう。みんな極端な贅沢を望んでいるわけではないが、シングルマザーなどのひとり親家庭では貧困というフレーズがついてまわる。

アジアやアフリカの国の子どもたちのニュースで「貧困」を見ることはあったが、それはその国の特殊な政治や経済が引き起こした問題であり、我々には関係ないとずっと思っていた。たとえそういった貧困家庭があったとしても、親がギャンブルで、などというワイドショーのようにわかりやすい「自業自得論」にカテゴライズされた。でも、ごく普通の派遣社員が真面目に働いていて貧困から脱却できないとは、一体どういう構造なんだろうか。

社会保障とはすべての人の人権に足る最低限の生活を守ることだ。そこをないがしろにした勝ち負けの自己責任論がまかり通ってしまうと、弱者と呼ばれる人への対応が攻撃的になっていき、国の社会保障の厳しい対応にも感情的な後押しをしてしまうことになる。

俺は「社会的弱者」という言葉を好まないし、自分でも使わない。弱者と呼ぶのは強者だからだ。虐げられた状況にある人に対して配慮することはとても難しいけど、自分の環境を投影してみるのは一番簡単な方法だと言える。

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俺はシングルマザーの家庭に育ったが、経済的にまったく貧しくなかったのと、両親の離婚がとてもロジカルで情緒的ではなかった。これは今ほど離婚が多くなかった時代においてはかなり珍しいケースだと思っている。

だからシングルマザーなどの苦労は当事者として体験しているが、その環境に怨念は持っていなかったので、生物学者のようなフィールド観察に徹することができた。言ってみれば「入院している患者の中で一番病気っぽくないやつ」というポジションだ。

日本のような国の場合、ほとんどの不満は「贅沢ができない」ことに偏りがちだ。ルブタンが買えない、エルメスが買えない、というのは不満ではない。人身売買などが行われている貧困な国で、親がそんなことを理由にしていることはあり得ない。家族全員が死んでしまうから一人を売る、というギリギリの選択だ。日本にも過去にはそういう時代があったことを忘れてはならないけど。

安全に、食事もできて、家もある、という最低限の生活を求めることと、ルブタンやポルシェが欲しいけど買えないという二段階目の不満はきちんと分けて欲しい。欧米では、ある程度の資産を持った人はノブレス・オブリージュ(身分の高い者の社会貢献する義務)に則って寄付をするようになる。キリスト教に限ったことではなく、仏教にだって同じ考え方がある。

ギャンブルに勝った人が、その日に負けた人に食事を奢るように簡単なことでもいい。そこにあるのは「明日は自分が負けるかもしれない」という想像力や、「今日勝ったのはただの幸運だ」という謙虚さでもある。

荒唐無稽な話だが、今日本にあるキャッシュを全員に均等にフローできたら、世の中はどうなるだろう。分け与えているのではないからベーシックインカムとは違う。みんなが同じ金額を手にリセットされた新たなギャンブルを始めることになるから、資本を増やす者もいれば、すってしまう者もいるだろう。ただ、最初の元手が持てなかった人を救うことにはなる。

構造的に最初の一歩が踏み出せない人を救うのが社会保障の役割だから、クラウドファンディングで持たざる人同士が少ない元手の中から善意のお金を差し出すことよりも先に、国がどうにかしなくちゃいけない。クラウドファンドの中には、それは国がやるべきことだろう、と思わざるを得ないプロジェクトも多く見かける。

長々と書いたけど、俺は自分が関わるべき領域への責任と、配慮と優しさ、それを忘れたくないと思って、支離滅裂だけどこれを書き始めた。

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写真家・アートディレクター。着ぐるみの中は繊細です。1964年生まれ。「ロバート・ツルッパゲとの対話」 https://www.amazon.co.jp/dp/4908586071/

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