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ダークフルネス:写真の部屋

広告写真を撮っているカメラマンのサイトを見ていると、仕事で撮ったモノに混じって、「Private works」などと書かれたカテゴリの写真があることが多い。

これが何を表しているかというと、「ご飯を食べているのはあっちの写真だけど、本当に撮りたいのはこっち」という、創作者の意図である。創作者にふたつの理想があってはいけないから、ただのエクスキューズだ。

照明ピカピカのスタジオで笑顔のタレントが商品片手に写っている写真を見せられた後で覗いてみる「Private works」には、血みどろのどんよりしたダークな世界が広がっていたりする。やりたいのはこっちなんだ、と言いたげに。

やや批判的に書いてしまうと、暗くてきわどい表現をした方がアート的である、という先入観があるかもしれない。そこは厳密に自己分析しなくてはならないところ。極端にポップで明るいアートだって存在するんだから。

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まず、アートは「唯一無二」でなくてはいけない。どこにでもあり、誰でも作れるモノにお金を払う人はいないから。だからまずは自分が撮りたい表現が今までどこにもなく、やっている人がいないかどうかは丁寧に調べた方がいい。俗に言う「オリジナリティ議論」になるのは避けたいから言っておくと、今までにあった方法やコンセプトであっても、それを自分流に解釈した結果に価値があれば、それは他人が認める「オリジナル」と言える。

「需要があるなら、それはオリジナルだった証明」という、逆算の理論だ。

単純に言うと、一般的に「ダークフルネス」はお金になりにくい。企業はそんな表現をまったく求めていないし、おどろおどろしい作品を写真展で売っても、食っていけるほど稼げないのはわかりきっている。では、もし自分の写真の理想像がダークフルネスだった場合、どうやって笑顔のタレント仕事をせずに生きていけるのだろう。

そのヒントを以下に書く。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。