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世界の矮小化(無料記事):Anizine

地球は球体だから面積としては有限だけど、そのすべてを知るのに人生は短すぎる。平均的な寿命で言うなら、もう半分以上の時間を無駄にしてしまった。

物理的に移動することの意味は、ベースキャンプの価値を知ることだと思っている。子供の頃、友だちの家に行くと自分の家のことがわかった。それは「比較」という分析方法だけではなく、基地から離れた自分の無力さを知ることでもある。

「いま知ったが、今までは何も知らなかった」「ということはまだ知らないことだらけなのだ」と感じることだけで毎日を過ごしたい。だから少ない知識と体験で「私だけが世界の秘密に気づいている」と言う人は、世界を勝手に狭くしていると感じるし、その人と話しても何も面白くない。「ソクラテスは無知の知と言っていましたよね」と、本で読んだ面識もない大昔の人の言葉を引用した、ありきたりな言葉が返ってくるくらいのものだ。

世界(地域という意味ではないよ)は果てしなく大きいモノで、自分の知らないことだらけで、俺が何を考えようとも、それは「すでに哲学者が答えを出して」いて、様々な専門分野のプロフェッショナルが作り上げるブラックボックスの中身をひとつも知らず、彼らが一生を掛けて研鑽する技術の重さにただおののきつつ、沈黙を守るしかない。

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「私が考える未来」などと言えるのは、無邪気な小学生か、実現性のある世界のデベロッパーだけで、世界を身の回りのくだらない情報に矮小化してはならない。初めて日本に行った田舎のアメリカ人が「日本では部屋で靴を脱ぐのだ」と興奮して話すのは、コロンブスの時代じゃないから家族の中だけにしておいて欲しい。知らなかったのは、地図で日本の場所を示すことができないその人の知識と体験のせいなのだ。

トルドー首相もそうだが、我々がトルクメニスタンとウズベキスタンの違いを知らないように、世界のほとんどの国の人が日本と中国を区別できない。

今年の2月から、俺のパスポートはずっと日本に置いてある。どこのスタンプも押されていない。こんなに長い間、日本にいることがなかったから、自分を冷静にリセットすることができない焦燥に苛まれている。

物理的な、というのは「頭の中では宇宙にすら行ける」という一方の正論とは別に厳然と存在している。トルクメニスタンとウズベキスタンとパキスタンに何度も行き、その微妙な違いを知っている人だけがわかる簡単なことを、俺は知らない、と知っている。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。