【感想など】最後の晩餐!君も野草サラダパーティーに参加してみないか?

こちらでは、肝蛭の動画に関するおまけ情報をまとめておいていこうと思います。


動機について


まず結論として、今回このテーマを扱おうと思った理由は人獣共通感染症として問題になっているためです。

寄生虫には生活環というものがあり、彼らが人間の体に届くまでに"中間宿主"と呼ばれる仲介者がいます。
今回の場合はその仲介者が牛なのですが、肝蛭は日頃牛と触れ合う機会がない人でも感染するリスクがあります。

その原因はレバ刺しや野草の"生食"です。成虫になると有意にキモい
調べる際には要注意

レバ刺しに関しては法律にて禁止されていますが、客からの要望もあって密かに提供する店は後を絶ちません。
当チャンネルでもフグの回をはじめ、肉の生食に対する注意喚起は行なってきておりますがこやつも例に漏れず。
屠畜場では、肝蛭をはじめとして肝臓の病気の検査がきっちりとなされています。しかし、目視である以上ヤツらの完全な除去は不可能です。無理無理。

これらの事実を知る人が少しでも増えてくれれば、牛のレバ刺しを食べるなんて無茶をする人が減るんじゃないかと希望的観測からテーマにしようと思いました。


動画作りをしていて新しく知ったこと


鹿の肝蛭陽性率が異常に高かったこと。

特に奈良のあいつら。
人間への感染が問題になるのは、肝蛭の幼虫を経口接種するところだから触っただけで感染⭐︎みたいなことにはならないけど、ヤッパチョットヤーヨネ


法定伝染病にまつわる話

牛の病気のなかには「かかったら殺処分にしないといけない」っていうことを法律で決めているものがあって

区分一覧で出すとこんな感じ

  • 法定伝染病

  • 届け出伝染病

  • 指定なし

そんで牛の法定伝染病の中にはヨーネ病っていう下痢しまくる病気があって
で何が言いたいかというと
そういった病気って鹿にも当然のようにうつって、そいつらが放牧地にいる牛にもうつしていくんですわ

だから鹿が放牧地にいるクソが!!っていうのは、奴らが草を食っていくのもあるんだけど、どっちかというと病気をばら撒いていくってところが本日のクソポイントなんです
そういう意味で肝蛭は鹿が自然界から持ち込んでくる非常に嫌なクソってことです

海外でも肝蛭は問題になっていて、感染した生レバーを食べた後に、嚥下困難をもたらす咽頭の病気ってのがあるらしく、ちょっとキモいです

リンクはこちら:

文字情報だけでキモい画像とかはないから安心してネ!


動画制作にあたって

鹿について一生文句たれていましたが、あれを読んでて
「人間が自然にスペースを間借りしているんだからそんな文句言うなよ鹿だって必死に生きているんだよ」
って思った方もいらっしゃったかと思います。

"人間がスペースを間借りしている"という考え方も当然成立するもので、実際に環境問題について取り扱う場合にはそのような視点で議論が進められます。温暖化関連のお話は顕著です。

ですが私が思うに、畜産に関する議題を扱う際にそのような意見をぶつけるということは御法度破りも御法度破り
なぜやっちゃいけないのか私見100%でお話しできたらなと思います。

前置きを重ねておくと、"人間がスペースを間借りしている"といった(自然中心主義とでもいいましょうか)考え方そのものを否定するつもりは一切ありません。
単純に畜産の話と相性悪くね?といった話をするつもりです。
ぜひ適切に尊重されてください。


ではほんへ


家畜や野生生物の話をする際に、毎度毎度思考停止で「可哀想だから生き物を殺してはいけない」といった、いわば自然主義的な主張では畜産業の実態についての話が始まりません。
今回のようなテーマを扱う上でそのような主張を繰り返す方がいては、決して建設的な議論は行えないでしょう。

なぜかそう言えるのか、それはレイヤー(層)がずれているためです。

どういうことかというと、議論はあるものを前提として、その条件のもと進めていくことになります。
皆さんも数学や理科のテストにて「(1)の問題を計算ミスしていたせいで、その大問の残りをすべて間違えしまった」という経験やエピソードを、クラスメイトから聞いたことはありませんか?
その(1)が前提です。

(1)を間違えてしまった人は前提を間違えていたため、その後いくら正しい推論をしたとしても、本来の正しい答えを導くことができません。

では、畜産における前提とは?
畜産における前提、その趣旨や解釈はさまざまでしょうが、それをここでは先ほどの自然主義に対して人間主義とします。
人間の都合優先ってことですね。

そうです。畜産は人間の都合が優先されることが前提になる世界です。
したがって畜産の話を進める上では、人間中心の視点で議論を進めなければなりません。

つまり、畜産についての話をしている人間に「お前は残酷な人間だ。万死に値する。」と、そのような意見を持って発信しても良いのですが…

それでは実態についての話ができませんね
"ミリしら"で遊んでるネット掲示板にわざわざ入っていって「これも知らないの?あっせえ知識ですね」っていうようなもんです…
それをするメリットがないし、気に入らないなら自分が情報の発信元となって「ミリしらとか全く面白くないんだけど、いい加減にしてくれない?」と勝手に主張していればいいんです。公共の福祉に反しない限りで…

議論を進めようとしているときに根本的なレイヤー(今後は基底レイヤーと呼びます)の話を持ち出してきて、物知り顔で反駁もどきをされても困ります。

さっきの例よりもわかりやすいようにスポーツで例えると、アメフトの戦略についての話をしているのに「サッカーでは手を使ってはいけないよ!」って主張をする奴は、やる気がないとみなされて即刻会議室からの退場を宣言されますよね。

2種類例えを出しましたが、基底レイヤーというのはそういった、話の根本を指す"議論を進める上で覆してはいけない前提"のことを指します。

この話の意義というのは
「動物が可哀想だから」とか「動物は家族!」といった前提に固執してしまうと、議論が進まないので家畜の分野に対しての理解が深まりません。
このような話は実情とかけ離れて個々人の感情で語られがちだからです。

人間と動物のより良い在り方についてみんなで考えていければなと思っています。
畜産に携わる人間だけが考えとけばいい話ではありません。最終的に消費する方々がいての畜産ですから、生産者と消費者の意見の過度な乖離も危険です。

しかし、直接的に言葉で表現してしまうと、このようにちょうどいい塩梅になりにくいです。異なる前提を持つ人々に対して畜産を語る上で、言葉は強すぎるんです。
なので対話形式の動画という形で皆さんに生き物や畜産の実態について知ってもらい、"畜産"というフィールドにおける各人の意見をもつ機会を創出できればなと思っている側面があります。


このチャンネルを視聴してくださっている方々は比較的年齢層が高めですから、こうした直接的な意見発信をしてみようと思いました。
(小学生にペットと家畜を区別してそれぞれ考えろというのは無茶な話)


「ペットが家族なんだったら、家畜は家族じゃないの?」
「家畜は野生生物を効率よく食肉に変換するためのシステムなの?」

目を背けるまでもなく、私たちの多くはこういった問いから隔絶されてしまいました。
こういった事実をついつい忘れ去ってしまいそうになる現状に
一石を投じたいという思いから始まった活動でもあったりします。


今度、つむぎさんに主役になってもらおうと思ったテーマ第1弾はこの「家畜」です。
ここでは前提を共有させてください。といった話しかしておりませんが、具体的な私の意見をそちらで発信しようと思っております。


畜産家は動物の一生をいただいて生活している方々で、私たちはそんな人々の仕事が生み出す利益にあやかって生きています。
完全よりも最適を、現実にはそうなのですが、それで満足していては衰退の一途を辿るほかないと思いますね。




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