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大人の決めつけ:時代が変わっても子どもの心は変わらないと思っているのでしょうか? (ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん)

ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん


「アニマルSDGs x うた」。EMI
=Education(教育) x Music(音楽) x Intractive(対話)を提唱する音楽プロデューサーの稲葉瀧文氏。アニマルSDGs編集部では、稲葉氏のブログ「恩学」より、自然のこと、動物との関係のこと、人間だからできること、などをテーマに発信してきます。

君たちは将来結婚して家族を持つことになる。
子どもが生まれて地域社会の連携を図らなければ日本は成り立たない。
この言葉に違和感を覚えませんか? これが日本の指導者の大間違いです。
LGBTの意味が理解していないことを暴露しているようなものです。
同性婚、子どもが産めない、子どもを必要としない人たちを、認めるための法案を受け入れながら無視している大人が大勢いるのです。
いつも表面だけ理解している風を装い、その実は昔の考えのままです。これが日本のダメな点です。一向に進化しません。
本音と建前の二枚舌です。同調主義の典型です。

「君たちは何も心配なく食事ができて幸せだね。世界には食事のできない子どもも大勢いるのだから」と言われたら、今の若者は「ドン引き」するのを大人は知らなさすぎです。
大人が勝手に良かれと思っていることをお仕着せのように自慢されると、その時点で意識の断絶が起こることが考えられないのです。
自分達のクラスに給食費を払えない貧困児童がいて子ども食堂に通っている現状を知っています。
大人がこんな世の中にして「君たちは幸せだ」と平気で言うことを腹の底では笑っているのです。子どもたちは怒りを面に出しませんが怒っています。

親たちは子どもに良かれと思い塾や習い事を半ば強制的に行っています。
本来は子どもを突き放して辛い思いをさせるのが親の役目です。
その役割を果たさないということは完全に育児放棄をしていることと同じです。
遊びたい年頃に遊びを奪うと情緒が欠落して自己判断が出来なくなります。
それ以上に創造力の楽しみを奪ってしまうと未来を描くことが出来ません。
社会に出てから悩むのはあなたの子どもたちです。

この国がダメになったのはそんな勘違いの大人ばかりになったことです。
平和とはみんなで「ぬるま湯」に入ることではなく、世間の厳しさを体験してから初めて理解できることです。
我々は平和と言う言葉を頻繁に口に出しますが、だれも平和の定義づけをしたことが無いのです。戦争放棄が平和でないことを子どもたちと話し合うべきです。
我慢することを覚えさせなければ健全な人間関係も作ることが出来ないのです。

日本の教育の欠点は学力向上を目指して頑張ることだけを教えることです。
画一化した内容を誰よりも早く正確に覚えることを教えます。
教育も均一化して訓練のように教えることに何の意味があるのでしょうか?
先生もそうやって大学で教員免除を取得したので、この点については疑問を持たないのでしょうか。
残念ですがこの教育ではデジタル社会AI時代には役に立ちません。

教えて育てることが教育の基本ですが、ここには個性が完全に無視されています。
時代が変わっても子どもの心は変わらないと思っているのでしょうか?
子どもたちの脳は日進月歩、価値観や感性が変わっているのです。
アナログの時代とデジタルの時代では判断がまったく違うのです。
子どもたちの心の変化に対応できないのは教育ではありません。

子どもたちは既に2050年問題を知っているのです。
日本の人口が半分になり全国の896の市町村が無くなることをうっすらと感じているのです。
東京の一部の地域では既に中国人街(池袋)と印度人街(葛西)が出現しています。地方に行けばフィリッピン人もベトナム人も大勢います。
昔、家族で群馬県の伊香保温泉へ行った時にホテルの従業員が全員ブラジル人だったので驚きましたが、今や都内のコンビニの店員はほとんどがアジア系の外国人の方です。

この国は将来外国の労働者に頼らなければ国としては成り立たなくなるのです。
その上に定住者の海外の人に参政権を与えることになるとしたら、今の英国の様に首相もロンドン市長もインド人になってしまうのです。
別にインド人が悪いとか差別で行っているわけではありません。

日本の様に小さな島国では人口が減ったとしても、最低70%は日本人で議席を占めて欲しいのです。
日本独特の伝統文化が守られなくなってしまいます。
その上に他国には無い独特の言語や歴史が失われてしまうのです。

大人の決めつけで世の中が回っています。
民主義国家なのに右へ倣えの社会主義のようです。
日本は平和国家で自由主義の安全安心な国です。
この嘘の神話が崩れ始めています。

育児放棄した親は乳母車に乗せた幼児が携帯電話で遊んでいるのを見て、
デジタルネイティブだと喜んでいるのです。
子どもたちはデジタルネイティブではなくデジタルスレーブなのです。
このような子はAIの奴隷になり操られてしまいます。

人間がAIに対応できるのは未来への創造力です。
データに記録されていない未来です。
デジタルの欠点は無駄が無いという事です。
クリエイティブは無駄から生まれて来るのです。
その無駄を取り除くと無機質な便利な商品ばかりになります。
アルミ製品やプラスティック商品に愛着がわかないのは無機質だからです。

これからはAIを使いこなす能力は誰でもが知っている能力で特別ではありません。
モバイルを使えない大人が感心して子どもを褒めると笑われますよ。
さてこれからの大人の役割は何になるのでしょうか?
決して昔の価値観で決めつけないようにしてください。

稲葉瀧文(恩学 2024年7月10日)


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恩学とは
 音楽プロデューサーとして生きてきた中で、常に人の心を見つめながら、感情の発露を気に留めてきました。時代によって移り変わる人としての価値観、その価値観によって変わる感情。自分から作り出す精神的な強さや脆さ、他人から影響を受ける感情の起伏。喜怒哀楽は個人の中にあり、それぞれが喜怒哀楽のガラスの針を持っているのです。些細な事で喜んだり悲しんだりするのは、そのガラスの針が左右に振れるからです。その為に先人達は仏教書や哲学書を読み、切磋琢磨しながら過酷であり又遊楽な人生を過ごしてきたわけです。
 日本人としての心の有り方を調べていく内に「恩」という文字に強く惹かれました。人として「生老病死」の一生です。生まれて、老いて、病気になって、死んでいく中で、他人から受けた思いやり、やさしさ、心づくしが、どれ程勇気付けられた事か、誰でもが経験している事です。
 その受けた「恩」を返さなければなりません。私自身の経験から出た「恩返し」の話や本で読んだ話、人から聞いた話、それらを文字にして書き連ねてみようと思います。徒然なるままに稚拙な文章ではありますが、ご一緒して頂けると嬉しいと思います。
2010年2月14日

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