Ac、蠍座17°「自分自身の子供の父である女」
僕のアセンダントは蠍座17°で、そのサビアンは「自分自身の子供の父である女」です。
わかりにくい言葉なので、前から疑問もありました。どういう意味なのだろうか? いろいろ調べてみても、今ひとつはっきりとはつかめない感じで、いつも消化不良のような感覚になっていました。
今日、いろんな人の書かれた蠍座17°サビアンに関する言葉を拾い集めてみたら、なんだかイメージが湧いてきた感じがします。
とりあえず、羅列してみます。
蠍座15°において蠍座の特徴を極めたあと、16°では向い合う牡牛座のエネルギーを受け入れて、今あるもので満足するということを学びます。
乙女座16°が魚座のエネルギーを受け入れて、オランウータンと化したように、蠍座16°は牡牛座のエネルギーを受け入れて、「いきなり笑い出す少女の顔」と化することになります。
蠍座15°において、無邪気な支配欲(フォース)を使って、コントロールすることのピークを経験した人は、無意識のうちに勝ち負けにこだわってきましたし、相手を支配して満足していたようなところはあったのかも知れません。
しかし、蠍座16°において、牡牛座を受け入れ、ただ支配して勝利するだけではない、人生の要素というところに、意識が開いていったのだろうと思います。
蠍座16°は「フォース」から、「パワー」に意識をシフトして、新境地を開拓していく時ということになるのでしょう。
その新境地から生まれてくるのが、蠍座17° 「自分自身の子供の父である女」ということになります。
それはやはり、それまで蠍座が深く深く掘り下げて探究してきたことが、受胎して、なんらかの形を見出すということなのかも知れません。
もしくはその予兆でしょうか?
何か、画期的なものが生まれてこようとしている、そんなイメージが湧いてきます。
15°までの蠍座は「フォース」を使って、支配することにエネルギーを注ぎましたが、16°からは「パワー」に意識をシフトして、内面から強い自分に変容することを目指します。
17°では、自分の中の「パワー」を育て、18°では、その「パワー」が成長して、何かが生まれてくるのかなと思います。
そういう意味では、僕のアセンダント蠍座17°はフォースではなく、パワーを育てること、内側に強さを育むことを目指しているわけですから、それが僕の生まれてきた動機と言ってもいいのかも知れませんね。
そういう意味では、父と母のバトルを目の当たりにするような環境において、フォースの限界と不毛さをとことん見せられたともいえるかも知れません。
僕の「生まれてきた動機」という見方をすると、なんだか腑に落ちた感じがします。ある種の錬金術のような感じかも知れません。
それと、タロットカードの17番を例に出しておられた方もいらっしゃいました。
タロットの17番は「星」ですね。
タロット15番「悪魔」に囚われた古い因襲で積み上げられた、16番の「塔」が落雷の一撃を受けて崩れ落ちた後、そこに生まれた新たなスペースに見えてくるのが「星」だというわけです。
17番「星」は希望ですね。パターンから脱却して、新しい選択を見出そうとする、衝動とも言えそうです。
中には処女懐胎であるとか、神の子が生まれるというような言葉もありますが、たしかに、錬金術の目的は、シュタイナーがいうところのキリスト意識の目覚めというような要素もあるのかも知れません。
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