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「もしもタイムマシンがあったら」の感想

長い文章がなかなか書けない。でも書くことはやめたくないので、最近は「書く習慣」というアプリで短い文章を書いている。

毎日お題を出してくれるので、そのお題をもとに文章を書く。もちろんお題と関係がなくてもいい。どんなに短くてもいいから、今はそれが書きやすい。

今日の(正確には昨日の夜の)お題は「もしもタイムマシンがあったら」だった。自分の中になんとなく考え方があるお題だったから書きやすかった。書いた後に、ほかの人の文章を読んで、いろいろ考えた。

20~30くらいしか読んでないけど、その多くは「過去に戻れたら」の文章だった。未来にも過去にも行けるタイムマシンの使い道に、「過去」を選んでいる人がたくさんいた。「あの頃に戻ってやり直したい」「あの時の自分に教えたい」「今はいないあの人に謝りたい」そんな願いも多かった。

お題を見たとき私も、まず過去を思い浮かべた。過去に戻りたいとは思わない、と。そしてその次に、でも未来もあまり興味がわかないし怖いから行きたくない、作った人の話は聞いてみたい、と綴った。

多くの人がまず過去を思い浮かべるのは、単純に未来より過去のほうが想像しやすいから、というのもあると思う。体験してない未来より、体験してきた過去のほうが想像しやすい。

ただそれ以上に、私はそれが人なんじゃないか、と思った。人だから、まず過去を思い浮かべるんじゃないかなって。

人を形作るのは、その人が積み重ねてきた時間だ。経験が人を作る。多分、善し悪し関係なく、すべての経験が。だから人は過去を想うし、タイムマシンがあったら乗りたいくらい過去は人にとって大きなものなのだと思う。


と、ここまで考えておいてふと思ったけど、「この場所にそういう人が多いだけ」という可能性も無きにしも非ずだ。こうやって、私のように悶々と考えて文章にする性質を持つ人限定の話かもしれない。だって、人生最高の過去に戻ってまた最高に楽しみたい!とか、未来楽しみすぎるから見てみたい!という考え方の人は、少なくともここにはあまり来ないんじゃない?

結局、私が自分の見たもの経験したことで考えてしまっているんだよな。私に見えているものが全てではない。すべてどころか、たぶんほとんど見えてない。わかってるつもりなんだけど、いつも忘れてしまう。

自分と同じように悶々と考える人の文章を見るのは面白い。でも、ここには来ない人もいるし、その考え方もきっと面白いんだろうなって私は思う。



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