筋トレに目覚めたいかもしれない
一昨日、またカギを忘れた。片道1時間ちょっとかかる実家のカギを忘れて実家に帰った。電車を降りて、バスに乗って、気づいた。バカすぎて泣きたかった。
中に入ることはできないけど、とりあえず家の前まで行ってみた。玄関の前は膝の高さくらいまで雪が積もっていて、まずドアにたどり着けなかった。郵便屋さんが何とか歩いた足跡をたどろうとしたのだけど、それすらももう雪をかぶっていた。
あまりにもひどいので、雪かきだけして帰ることにした。膝まで埋もれながらスコップを取りに行き、そこから一時間半、黙々と雪をかき続けた。マフラーをとり、上着を脱ぎ、ただひたすら雪をかいた。
なんとか人の道ができたところで腰がやばくなったのでやめた。もう終わるというところでお隣のご夫婦に会って、2、3日のうちに除雪が入るだろうことを教えてくれた。つまり私の雪かきはあまり意味がなかった。せいぜい除雪が入るまでの郵便屋さんのためだ。
でもなんというか、悪い気はしなかった。わかりやすく疲労と達成感があった。自分のバカさに打ちのめされていたのも、身体を動かすと少し軽くなった。
動くと、マイナスは減るんだと学んだ。厳密に言えば、負に向けるエネルギーというか、負を深めるエネルギーを体を動かすことに使うから気持ちが落ちすぎない。何か行動をした、何かを成したという気持ちはどんな些細なものであれ人を保つんだなと思った。
入院中に筋トレに目覚める人がいるというけど、こういうことなのかもしれない。エネルギーの向けどころを変えるんだ。体も心もラクになる方向へ。
たぶんそもそもエネルギーが少なくて、発散することへの不安があるから、生きている中でエネルギーを消費をすることはあっても発散することはあまりないんだと思う。でも、負へ向いてしまうエネルギーに関して言えば、方向を変えて発散したほうが私はラクになることがわかった。
これはいい学びだと思う。筋トレまでいかなくても、とりあえずストレッチ5分とか好きな曲で1曲踊りきるとか、小さい目標を定めて体を動かして達成する。何にしろ、動くことと成し遂げることが大切なんだろう。
何にでも当てはまることだな。エネルギーの「消費」ではなく「発散」。削られるのではなく、意識して使う。自分から出す。それは、積極的に生きるということなのかもしれない。自分から、自分の意思で動くということ。
上手ではないけど、少しずつ、少しずつやっていこうと思う。
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