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無駄ではなく、余白

昨日、仕事で初めて「完璧」をもらった。難しいけどやってみてと言われ、確かに大変ではあった。でも、時間はかかったけど自分でもこれはたぶんできた、と思ったから純粋に嬉しかった。心が折れそうになりながら、黙々と一人で練習していたのは無駄じゃなかったのだな、と思えた。

私は時間にしてもエネルギーにしても「無駄にすること」を極度に恐れている気がする。自分の中の最もダメなこと、やりたくないことの一つに、無駄にすることがある。

資源を無駄にしないことは大切だと思う。ものを大事にしたり、消費するものだってできるだけ無駄はない方がいい。地球にやさしい生き方をしたいといつも思っている。

でも、自分の時間やエネルギーに関して言えば、ちょっと違う気がする。私は思い通りにいかない時間、苦しい時間やダラダラしてしまった時間なんかを無駄な時間だと思って、そういう時間を過ごしてしまったことを後悔したりするけど、それは無駄とはちょっと違うのかなと思う。

確かに生産のある時間ではないかもしれない。なくなっても、困らない時間。勉強したり、製作したり、楽しんだりしたりする時間とは違う。

でも、無駄ではないんじゃないかと思う。私には必要な時間だったのだろう。ゆっくりゆっくり進む私には、そういう余白の時間が必要なのだろう。

私のこれからの時間は、全てが”余白”だ。なかったかもしれない時間。運良く手に入れた、先生がくれた時間。

余りの白を、余りの生を、根詰めすぎずゆるゆる生きていきたいなと思う。

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