見出し画像

「必要とし、必要とされる」を見つける

どんな人でも、「その人がいないと世界が終わる」なんてことはない。

もちろん赤ちゃんとか幼い子供は、育ててくれる人がいないと生きていけない。でもそれは「誰かがいないといけない」だけであって、「特定の1人にしかできない」わけではない。

誰しもが、言ってしまえばこの世界にとって「いなくてもいい」「いなくなってもいい」存在だ。

そんなことはわかっている。理屈ではわかっている。誰だっていなくてもいい。でも最近はずっとその言葉で自分を傷つけている気がする。

始めは、自分を許すための言葉だった。何もできないと感じたり、失敗をしたり、とにかく自分は不要じゃないかと感じたときに、「誰だっていなくても成り立つんだから」と自分を励まし許そうとした。

でも、だんだん苦しくなった。いてもいなくてもいい存在であることは、何でも気負い過ぎる自分をラクにすることだったはずなのに、いつしか「いなくてもいいなら、何でここにいるんだろう」って思うようになった。

必要とされると苦しいくせに、いなくてもいいのも苦しいだなんてわがまますぎる。じゃあどうしたらいいんだ。

これもきっとバランスなんだろうな。しんどくない程度の「自分にとって必要で自分が必要とされる」があるのだと思う。それは人が対象かもしれないし、人以外の生き物かもしれないし、場所や芸術かもしれない。

自分にとって心地いい「必要とし、必要とされる」を見つけることは、生きる理由の一つかもしれないな。少なくとも私はそういう人間だと思う。それを探す過程も、見つけた後も、生きることにつながる気がする。

生きる意味はなくてもいいんだけど、やっぱりどこかで欲しいと思っているんだろうなぁ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?