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夜通し川べりを歩いた話

昔から夜更かしが好きで、学生の頃は1時2時の就寝が当たり前だった。最近、早いときは20時とか、日付が変わる頃には寝てしまうので、今のほうがよっぽど健康的な生活を送っている気がする。
困ったことに、私は夜更かしが好きだ。3〜4時の真っ暗な空を見ながら散歩するのが好きだし、白んだ空を見ながら布団に入る疲労感と安心感がたまらない。冬場にキャンプをすると、起き出してきた頃はまだ星も月も出ているので、その影響なのかもしれない。違うのかもしれない。
昔の話になるけれど、電灯なんてこの辺にはなかったから、懐中電灯を手に森やら坂やらをうろついていた。山の前にある大きな池の前に煌々と光るコンビニの明かりがとても頼もしく見えるし、電気の落ちたホットスナックの売り場を見ながら温かいココアを買うのも最高に贅沢なことをしている気分になるので好きだ。(そのコンビニは、数年前にFになり損ねてなくなってしまった)車がいないと、つい車道の真ん中を歩きたくなるのは悪い癖だと思う。幸い、まだ職務質問には遭ったことがない。

そんな夜更かしライフの中でも、原体験というか、忘れられないのがオーバーナイトハイクだ。詳細は省くが、小学生の頃、まだ肌寒い春先に、18時〜5時にかけて、夜通し川べりを歩いたことがある。通常30〜40kmのところを24km程度の行程なのでそんなに長くはないのだけれど、休憩を挟みながらゆっくり歩いた。
真っ暗の道を数人で隊列を組んで、ライトで道を照らしながら、ひたすら川沿いに下っていく。先輩と話しをしたり、ちかちか光る町の明かりを遠目に見ながら、ひたすらゴールを目指して歩いた。私が16方位を完璧に言えるようになったのはこの時だ。
途中で何回か休憩を挟んだが、休憩地点で先に待っていた人に迎えられて、温かいココアを飲んだり、カップラーメンを食べたりした。夕飯は早めに済ませてしまったけど、夜食として深夜12時に食べたカップラーメンは最高に美味かった。それ以来私は日清のカップヌードルを特別視しているが、あの日食べたカップ麺以上に美味いものには未だ出会ったことがない。
眠くならないようにみんなでしりとりをした。あんまり大きな声を出せないから、声をひそめる形になるのだけれど、それだと全員に聞こえないから不正し放題だった。声を殺してげらげら笑った。多分深夜テンションでハイになっていたのだと思う。
2時くらいに大きな橋を渡ったのを何となく憶えている。足元のタイルが蛍光灯で白く照らされていて、周りなんか虫が少しだけ飛んでいる他は自分たち以外誰もいない。アルクアラウンドのMVを見たときに「ああ、あそこだ」と勘違いするくらいには不思議な場所だった。
もう殆ど記憶の彼方だけれど、明け方の町を歩いたのもとても変な気分だった。いつも車がひっきりなしに通過する大通りには人っ子ひとりいなくて、ただ信号機だけが規則正しく色を変えている。気温が低かったのか靄のようなものもかかっていて、まだ半分隠れている朝日にビルの影が長く伸びていた。町全体が薄紫色に包まれていて、ああ、まだこいつも眠っているんだななんて思ったりした。
目的地に着いた頃には日も昇っていて、先回りしていた大人の人がテントを用意をしてくれていた。大型のドームテントにはかびとほこりと薪のにおいが染みついていて、嗅ぎ慣れたにおいに眠気がどっと押し寄せてきた。日差しを取り込んだ中はほっこり温かくて、マットを敷くのもそこそこに、寝袋に適当に潜り込んで皆で泥みたいに眠った。
起きたら意外と10時頃で、撤収作業を終えたら昼兼朝飯のサンドイッチを食べて解散した。なんだか長い夢を見ていたようで、狐狸にでも化かされたんじゃないかと長いこと不思議に思っていたけど多分夢じゃないんだろう。
翌日はふくらはぎの筋肉痛で大変なめにあった。

とまあこんな具合なのだけれど、総括:とても楽しかった。運動は好きじゃなかったけれど、意外と歩くのは嫌いじゃないんだなあと思ったりしたのが収穫だったのかもしれない。後々恩田陸の「夜のピクニック」の存在をしって、かなりワクワクしたのを憶えている。
もう一度やりたいけど、やるとしたら今度は企画側かなあ。承認、下りなさそうだなあ。

以下忘れないようにネタ出し。どれがいいかな……
・バケツでプリンを作った話
・森に穴を掘ってプールを造った話
・チェーンソーが楽しかった話
・ツナギで山を登った話
・山でピタゴラ装置を作った話
・スコップでピザを焼いた話
・相模原のヒルがヤバかった話

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