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5分でざっくり分かる『村上春樹の変遷』~結局、何から読めばいいの?

〈〈~こんな人に向けて書きました~〉〉

「村上春樹が今更…という人にはどれから読めばいいか分かる」

「村上春樹を何冊か読んだけど、次はどれを読めば…」


村上春樹の全小説を最低2回読んだことがある。慣れてしまえば、他の作家よりも非常に整理されていて、それぞれの意図も分かる。ざっくりと解説してみたい。

村上春樹の作品群は、デタッチメント(1979~1995年)、コミットメント(2002~)に大きく分けられる。今回は2017年の『騎士団長殺し』以降の新たなフェーズについても分析してみたので語りたい。

【高度経済成長期の時代を映した『デタッチメント』(1979~1995年)】

#『風の歌を聴け』(1979年)30歳

村上春樹のすべてはこの小説から生まれたといっても過言でもない。

発明したのは、アメリカの文化そのものを日本の小説にしたような雰囲気と、英語を直訳したような翻訳調ともいわれる文体だ。

村上春樹が、「英語で書いてから日本語に翻訳して物語をつくった」と主旨のことを話しているように、その手法からユニーク。

しめっぽいイメージの純文学から、からっとしたお洒落で読みやすい文体を発明したことは、文学の功績といっていいだろう。これ以降、小説の新人賞は「村上春樹もどき」が大量生産されることになった。

作品群としては、デタッチメントと一般的にいわれる。

デタッチメントというのは、社会と距離を置き関わっていないことを指す。つまり、無関心だ。この作品群では、社会へ無関心をよそおい、それでも不幸に思わないような、自分の世界で完結するような主人公たちが登場する。そして物語は、主人公の主体的な動きというよりも、流れに任せて展開されていく。

「やれやれ」。

まさにこの言葉がぴったりの作品群だ。

これらの作品群はなぜ人々の心を捉えたのかは以下の時代背景から端的に表現できるのではないか。

「1970年ごろに学生闘争で社会を変えられる」と信じていた人達が「社会を変えられない」と悟った時の敗北感・喪失感に満たされていた。

加えて高度経済成長のモノの豊かを追究する時代において、同時に「何かが失われている」「これが幸せなのか」という疑問が気持ちの片隅に表れ始めた時だ。

そこに村上春樹は、人々の無名の喪失感をうまく捉えた。もちろんそれに対する答えは用意されていない。ただし、それらの時代、感情が作品として、つまり名のない喪失感に小説から言葉を与えること自体が救いになったりもする。

ちなみに、村上春樹が敬愛するスコット・フェッツジェラルド(1896~1940年、米国)も1920年代のアメリカの景気最高期の時代感や虚しさを表現している。村上春樹も訳しているグレートギャッツビーはあまりに有名だ。

この時期の主な作品群は以下の通り。

#『羊をめぐる冒険』(1982年)33歳

村上春樹らしさが際立つ「やれやれ」最高潮の作品。


#『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)36歳

2つの物語展開、SF的ともとれる設定、人称など、新境地を求めた。


#ダンス・ダンス・ダンス(1988年)39歳


#ねじまき鳥のクロニクル (1994年)45歳

これまでの村上春樹的な文体・物語構成が凝縮された完成系列といってもいい作品。

幸か不幸かデタッチメント期で最も売れたのが、「ノルウェイの森」(1987年)38歳だ。これはデタッチメント期において、少し異質な物語となっているが、それは別の機会に語りたい。

【社会との接点を提案する『コミットメント』(2002~2016年)

「社会など接点持つと、いいことないわい!」という物語を書く中、転機が訪れる。1995年、阪神淡路大震災(村上春樹は兵庫県西宮や芦屋市で育った)、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった。こうした部分から、多分に影響を受け、村上春樹らしさを備えつつ、社会との接点を探るような小説が生まれる。

コミットメントを如実に表しているのが、エルサレム賞を受賞した際のスピーチだ。この賞を受賞した人は、ノーベル文学賞を取る前段階とされる名誉ある賞でもある。

しかしこの賞はいわくつきで、イスラエル側が用意した賞だ。イスラエル・パレスチナ問題でも知られ、つまりユダヤ人とアラブ人との歴史的な争いにも置き換えられる。しばしば、イスラエルの攻撃的な姿勢が国際的に非難される問題でもある。

イスラエルの賞でありながら、パレスチナの側に常に経つという表明したともとれるスピーチはあまりに有名だ。

コミットメント期の作品群は以下の通り。

#『海辺のカフカ』(2002年)53歳

コミットメントの最初の作品ともいえる。主人公が少年という点、希望(ハッピー・エンド)の物語と言う点で、これまでの作品とは異なる。

#『東京奇譚集』(2005年)56歳

紹介するなかで唯一の短編。物語のなかで地震が起こったり、ニュースが流れる。特にそれでどうこうというわけでないが、地震を暗に意識づけされられる。

#『1Q84』(2009~2010年)60~61歳

共産主義・全体主義に対して批判的で未来的でディストピアとして描いたのが、ジョージ・オーウェルの『1984年』(1949年)だが、それを意識している表現や展開が盛り込まれる。資本主義の新たな『敵』、ビッグブラザーの対立軸として描かれたリトルピープル。宗教、神話の要素が随所に盛り込まれ、まさに「総合小説」を目指した意欲作ともいえる。

#色彩を持たない多崎つくると 、彼の巡礼の年(2013年)64歳

落ち着いた筆致で、多崎つくるの再生を描く。村上作品にしてはきらりと光る表現が少なく、凡作といってもいいかもしれない。

【日本文学に新たな風を呼び込む『新コミットメント』(2017年~)】

『1Q84』は、朝日新聞の「平成の30冊」で一位を獲るなど平成の名作に数えられる。

一方で、安っぽいラブロマンスを展開させてしまった。また、あまりに大きな物語で収集がつかなくなった感もある。「あぁ村上春樹も年をとったな」「ノーベル賞狙いすぎ」とがっかりする人もいて、コアな村上春樹ファンが離れた一因ともなったと思っている。

それで方向転換を図ったのかわからないが、かねてから目指していた総合小説とはやや遠ざかる作品が生まれる。

現代性や「社会システム」を意識していた作品から、人本来の心情、文学の神髄、哲学的なというか普遍的な雰囲気を漂わせるようになる。新境地を狙った意欲的と言うよりも趣味的といった趣もあるかもしれない。

#『騎士団長殺し』(2017年)68歳

レイモンドチャンドラ2017年ー、フィツジェラルド、上田秋成などの作品のオマージュ的な要素も多い。1Q84のような大きな物語でなく、より個人に近い物語から、南京大虐殺などのテーマも表す。村上春樹的な社会・哲学・文学への考察が随所にひかる。

#『一人称単数』(2020年)71歳

これは驚いた。初期村上作品の尖った詩的な表現がありつつ、深い濃密な考察がおり混ざっていて、村上春樹の完成形といってもいいんじゃないかと思ったほどだ。これらは違う機会について語りたい。

【『海辺のカフカ』からがおすすめ】

じゃこれを踏まえて、これから村上春樹を読む人は何を読めばいいか? 

村上春樹らしさ、物語の面白さ、エンターテインメント性のバランスで、海辺のカフカがおすすめだ。これから村上春樹を始めたい人はぜひにだ。

それで村上春樹らしい文学が気に入ったならばデタッチメントにうつそう。どちらかというと玄人向けといえる。

村上春樹らしい文体が鼻につくけど小説は面白いという人は、東京奇譚集や騎士団長殺しはどうだろう。社会的なコミットメントや新コミットメント作品群から読み進めるのがおすすめだ。