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東京五輪は人権問題を解決するのか?

東京五輪や聖火リレーについて、意義も分からず、広告・宣伝に踊らされ、盛り上がるのは残念だ。
ここは、意義(理念)を確認したいところだ。
「楽しむ」ことよりも、筆者は「考える」ことの方が重要であると考えている。

先般、聖火リレー関連で感謝状の贈呈が行われた。
感謝状であるから、そこに、聖火リレー関連の意義(理念)が書かれていると思われる。

筆者は、市役所に情報公開請求をして、感謝状に記載された文言が分る文書を取り寄せた。

東大阪市が贈呈した感謝状をもとに、スポーツの人権問題への寄与について考えていく。

なお、本記事は感謝の文言について言及する趣旨であるため、受領者の氏名を消去している。

まずは、経緯から。

聖火トーチを寄贈

2021年7月30日に、東大阪市役所で、市民から聖火トーチが寄贈され、市役所で展示されることになった。

東京2020オリンピック聖火ランナーを務めた●●●●さんから、実際に聖火リレーで使用した聖火トーチが寄贈され、市から感謝状を贈呈しました。
寄贈いただいた聖火トーチは、7月30日~8月10日の間、市役所本庁舎1階に展示しています(展示時間は9時~17時)。

2021 感謝状贈呈

(余談)感謝状について「授与」ではなく「贈呈」という言葉を使っています。授与は上から目線ですからね。


感謝状の文言

感謝状には次の文言が記載されている。

(次は、文字データ)

感謝状
あなたは、スポーツを通じて国籍、年齢、性別、文化の違いを乗り越えることができるオリンピック精神に深いご理解をいただきさらなる発展に寄与するため、東京オリンピック聖火トーチを本市に寄贈していただきました
このことは、今後スポーツを行っていく子供たちへ繋げていくとともに、このご厚意に対し、ここに深甚なる感謝の意を表します

(次は、写真データ。情報公開請求によって取り寄せたもの)

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難解な書き方だ。骨子は次のとおりだ。

あなたは、オリンピック精神に深い理解をしています。
あなたは、聖火トーチを寄贈をしました。
市長としては、聖火トーチの寄贈を、今後、子供たちへ繋げて(つなげて)いきます。
寄贈に感謝します。


聖火トーチの意義

●感謝状の文言から、聖火トーチの意義は、次のとおりだと解釈できる。

聖火トーチには、スポーツを通じて国籍、年齢、性別、文化の違いを乗り越えることができるオリンピック精神が宿っている


●東京2020組織委員会は、聖火リレーについて次のように説明している。

聖火リレーとは、ギリシャ・オリンピアの太陽光で採火された炎を、ギリシャ国内と開催国内でリレーによって開会式までつなげるものです。 オリンピックのシンボルである聖火を掲げることにより、平和・団結・友愛といったオリンピックの理想を体現し、開催国全体にオリンピックを広め、きたるオリンピックへの関心と期待を呼び起こす役目を持っています。

分かりにくいので、これを、私なりに書き換えると、次のようになる。

聖火はオリンピックのシンボルであり、平和・団結・友愛といったオリンピックの理想を体現している。
これをリレーすることにより、オリンピックを広め、きたるオリンピックへの関心と期待を呼び起こす。

トーチ(torch)とは、たいまつのことである。


●東京2020組織委員会は、「東京2020D&Iアクション -誰もが生きやすい社会を目指して-」を公表している(2021年8月18日)。これは東京五輪の意義であると言っても良い。

概要は次のとおりである。

東京2020大会は、その大会ビジョン「スポーツには世界と未来を変える力がある。」の基本コンセプトとして「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」を掲げています。「東京2020D&Iアクション -誰もが生きやすい社会を目指して-」も、これらの考えに基づいています。


意義の問題点

東京五輪などの意義は、上記のとおり、複数の公式の場で、言葉を変えて表現されている。
本記事では感謝状に記された文言について考える

なお、東京2020組織委員会の「東京2020D&Iアクション -誰もが生きやすい社会を目指して-」に対する私の論評は次の記事に載せた。


感謝状に記載された東京五輪関係の意義は、「スポーツを通じて国籍、年齢、性別、文化の違いを乗り越える」ことだ。

「違いを乗り越える」と述べているので、正義であるかのような雰囲気を味わうことはできそうだ。

しかしながら、あくまでスポーツを通さねばならない。
スポーツありきの発想である。

スポーツには競技ルールがあるので、それに則って(のっとって)実施される。
スポーツの実施においては「違いを乗り越える」ことが完全に保障されている。スポーツを実施したということは、「違いを乗り越え」たということだ。
なので、スポーツという範囲内において、「違いを乗り越え」られるのは当たり前なのだ。

スポーツという範囲内における「乗り越え」であるため、人類が抱える普遍的な課題(人権問題)の解決という意味での違いを乗り越えているのではない

例えば、性別に着目した場合、世間一般では、男女間の格差が人権問題になる。
しかし、スポーツ競技は、ルールとして、男女別に物理的に居場所を分けてしまう。競技には、男しかいない、又は女しかいないのだ。男女間の格差問題が生じるわけがない。
人間が活躍する場を分断する環境(人権問題が生じない環境・社会的葛藤の無い環境)を人工的に作りだし、それを「違いを乗り越える」と表現しているのだ。

感謝状には「違いを乗り越える」と美辞麗句で書かれてあるので、人類の普遍的価値の追求に寄与したかのような錯覚に陥る(おちいる)のだが、あくまでも、これはスポーツ競技のルールに則っただけのハナシなのである。

そんな勘違いを引き起こす意義であるにも関わらず、聖火リレーに関与しトーチを寄贈したことに感謝状が贈呈されている。

これは何を意味するのか。

感謝状の感謝の効力は、スポーツに限定されており、スポーツを奨励したいだけが本音、ということだ。

スポーツは、(理想論ではなく)実態としては、勝利や金メダルを無邪気に喜ぶ趣味・娯楽である。
しかし、これでは、公的機関が関わる(税金を支出する)ための大義が無い
このため、人類が抱える普遍的な課題(人権問題)を解決するかのような雰囲気を作り出し、崇高なものという印象操作をし、大義を作り上げている

もっとも、そのような大義を捨てて、本心に正直に、「楽しむ」を前面に打ち出している偉い人がいたりする。

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ただし、これだと、スポーツに関心の無い国民から「何で、税金を使うんや?」という疑問・批判を受けることになる。

東京五輪は、多様性を尊重するとのことだが、それは、スポーツの範囲内であって、スポーツに関心の無い国民は排除されているのだ。

日本国が不幸なのは、大義について何とも思わず・考えず、ただ、オノレの趣味・娯楽に対して公的資源を投入させる者が、偉い人になったことだ。

そして、悪質なのは、スポーツが人権問題を解決するかのように偽装していることだ。
人権問題の解決とは、まさに文字通り、人権問題が発生している状況での解決を指すのであって、人工的に作成された競技ルールに則っているのであれば、人権問題は生じないし、生じていないのであるから解決も無い。
仮に「スポーツには人権問題が生じないからすばらしい」としたとしても、それは非日常の世界であって、やっぱり、現実世界における人権問題の解決ではないのだ。


まとめ

・スポーツを趣味・娯楽にしていない国民は排除されている。
公共資源を消費しておきながら、スポーツ愛好者しか果実を享受できないことは不公平である。

・国籍、年齢、性別、文化の違いを乗り越えることは、スポーツを通じなくても実現すべきだ。ゆえに、スポーツを通じる必要性は無い。

・スポーツ選手でも犯罪(人権侵害)を犯している事例があるため、オリパラスポーツ崇拝信仰は成り立たない。


以上

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