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ニュース✔︎:原発事故処理のお財布問題関連ニュース

福島復興関連のお金のことについて最近ずっと書いているのは、予算のダブつき方が尋常ではなく、そのことが国の制度上の不備と長期見通しのない場当たり政策とあいまって、地域に破壊的な効果をもたらしているのではないかと感じるからです。この先、前例のない規模で後始末も大変なことになると思いますが、どの程度の規模感で考えておけばいいのか、いちど知っておきたくて、『震災復興の政治経済学』を読みはじめました。

齊藤先生は、Twitterで少しだけやり取りをさせていただいたことがありますが、まったく不勉強かつ失礼なことにマクロ経済学の大家とは存じ上げず、失礼を申し上げたのではないかと冷や汗をかいています。経済や社会といった分野は、これまでほとんど追ってきておらず、震災後のわたしの交流関係は、放射能方面に偏っていたのだとあらためて感じています。

冒頭のところに、東電の負担する賠償と廃炉費用がどのような形で工面されているのか、その複雑な仕組みが説明されています。見かけ上、国民が負担していないように見せるため、相当にわかりにくい構図になっていますが、実質、かなりの部分は国民負担である、ということがよくわかりました。ただ、確かにいかに巨大企業とはいえ、東電一社で廃炉・賠償費用を捻出することなどできるはずもなく、常識的にできないのに東電だけに支払わせろ、と言っている国民世論もどうなのか、と思います。全体の感想は、またそのうちに最後まで読み終えて書きたいと思います。

10年経って若い記者さんが増えてきたこともあるのでしょうが、マスコミ報道が原発事故に関連して、ふわっとした「いいこと」報道ばかりを連発しているのは、正直いかがなものかと思っています。「復興=いいこと」という刷り込みと前提があり、そのトーンの報道ばかりが出ていますが、「いいこと」として報じられたエピソードの後日譚を少しでも後追い取材されたことがあるのでしょうか。
数年経てば様相が激変している一瞬だけのふわっとした「いいこと」ばかりではなく、事故のおおもとや最初の枠組み設定の流れも踏まえた上で報道していただきたいですし、こちらの著書はそれを踏まえるために最適ではないかと思います。

というタイミングで、朝日新聞が、電力会社が福島事故の賠償金に充てる「一般負担金」を減額しているというニュースを記事にしていました。こちらは、送電料に上乗せされているので、電力会社が負担といっても、全国の電力使用者=国民が払っているお金です。ここのところの電力危機で、電力会社の経営が厳しくなっているからということですが、こうした形で、電力危機問題は福島の廃炉・復興政策へも影響をじわじわと及ぼしてくることになると思います。

毎日新聞が、復興拠点の除染費用についての記事を書いています。

大熊町の復興拠点の除染については、除染検証委員会の資料を見てもかなり難渋している様子が見てとれます。線量が高いぶん、除染コストも多くかかったということになります。

記事では、「1ヘクタール当たり約1億3400万円の計算」となっていますが、これは、2016年のYasutaka, Naito による除染の住宅地コスト試算max 3,500万円/ha の約3.8倍になっています。 計算方法によってコストは変わってくるため、単純比較するのは正確ではないのですが、これまでに比べれば大幅にコストが増えているということはまちがいないだろうと思います。

問題は、こうした費用対効果や今後の維持についての政策的な検討がほぼ一切なされないまま、復興予算が尽きるまでなんの工夫もなく、見通しもなく、漫然とした対応が続けられる様相であることです。
以下、経産省が因果推論モデルなどを用いて政策検証を行う、というニュースになっていました。EBPMも、形式に堕すれば効果よりも弊害が大きくなってしまう懸念もありますが、復興政策の検証のなされなさを見ていると、経産省が検証を行うというニュースは、ネットスラングでいうところの「クララが立ったよ!」的な感慨を持ちます。

ちなみに、旧避難区域に乱立している「道の駅」は、客の奪い合いとなり、採算がかなり厳しくなっているところも出てきています。(ふわっとした「いいこと」記事後日譚のひとつです。)
ひとつの商圏に集まる人数はおのずと制約があるもので、普通は商圏規模を考えながら商業施設は建てるものですが、復興政策においてはそうしたことは一切考慮されていません。EBPM以前の問題で、日本の政策はこれまでもこんな適当なやり方で決められてきたのかと思うと、斜陽国家になるのも宜なるかな、と思います。

追記:「一切考慮されていない」のではなく、作りたい施設規模にあわせて辻褄合わせの利用者予測数などのデータを拵えた、が正確です。

双葉町の復興計画が策定されたというニュースです。古い公共施設などを遺す案となっているようです。とてもいい話だなと思いました。

他の地域の復興計画は、もとあった街をまるきり作り替えてしまうものになっているようですが、そうなると、もともといた人にとっては思い入れのもてない、どこにでもある街になってしまうだろうと思います。

わたしは、会う人ごとに「元いた住民を大切にしたほうがいい」と言っています。復興バブルの雰囲気で、福島や浜通りがまるですばらしい場所であるかのようにもちあげられてしまいましたが、実際問題、他にもすばらしい場所はたくさんあります。新しい住民を呼ぶといっても、他と比較した時に、好条件のところがあればそちらに行ってしまうのがよそからくる人たちです。

でも、その土地に縁がある人は違います。あの場所に住みたいな、住んでもいいな、といって選んで来てくれるのは、もともとその土地に縁があった人の方が見込みがあります。もしかすると、自分の代ではないかもしれません。子供の世代、孫の世代になるかもしれません。でも、「あそこはおばあちゃんのふるさとで、あの場所のことはよく話してくれたな」、それはその人にとっては「かけがえのない」思い出です。他の土地とは比較できません。

自主避難の人たちと話をしていても、このことは強く感じました。私がお目にかかった多くの人が、避難先から福島や故郷のことを気にかけ、応援のために福島の物品を避難先で宣伝したり、売ったりする人たちもいらっしゃいます。

目先の居住目標数値も結構ですが、その土地を支える、ほんとうにいとおしいと長く思い続けてくれる人たちのことをあまりに軽んじすぎていないか、と思っていたので、元あった町の形を残そうとする計画はちょっとほっとしました。

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