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スティーブ&ボニー (8)

先導するスティーブの車はアスファルトで舗装された公道から脇道に入り、わずかに砕石舗装された凸凹道を走り始めた。やがて、道路は砕石もなくなり未舗装の砂地そのままの裸道になった。スティーブのRV車は平然と走るけれど、アランの乗用車は大変そうだ。今度は、私たちの車が砂煙を巻き上げながら走っていく。この砂が風下に流れ、霧のように視界を遮るのだ。川が目前に見える場所でスティーブは車を停めた。車を駐車するスペースが作られており、スティーブと同じようなRV車が何台か停められている。車の後部にトレーラーがつけられており、どうやらボートを載せてここまで来たようだ。なかには、川岸ぴったりに空のトレーラーをつけたまま駐車している車もある。起伏のないゆったりとした川筋に、豊かな水量と広い川幅をもつコロンビア川は、ボート遊びをするのには最適なのだろう。私たちは車を降りて周囲を歩き始めた。

空は見えるが、川向こうのただっぴろい平原の遠景は、砂に霞んではっきりと見渡すことはできない。川のこちら側、川に向かって立つ私たちの背中側には、斜面が切り立って崖状になった一段と高い丘陵が川筋に沿ってずっと続いている。きっと地質的な特性があるのだろう。とおく遥か、白く霞んだ丘陵を従えて続く川筋をずっと遡ると、その上流はカナダとの国境を超えていくのだという。しばらく眺めた後、もう少し眺めのいい場所があるからそこでサンドウィッチを食べようということになった。もう一度それぞれの車に乗り込んで、数分ほど移動する。川辺から少し高台に位置する場所からは、ちょうど川の流れのゆるやかなカーブが一望できる。川岸に降りていくなだらかな斜面は、砂丘のような起伏が幾重にか重なって、その下方に、川幅を広げて蛇行するコロンビア川。川の中洲がゆったりと広がっている。この場所は、スティーブがメールで写真を送ってくれた場所だ。彼がいちばんお気に入りの、世界でもっとも美しい場所のひとつだ。彼は何度となく足を運んでいる自分のとっておきの場所を私たちに案内してくれたのだ。目を凝らして、向こう岸の平原を見つめる。中州の向こうに、かすかにサイコロのように見える四角い建物が見える。あれがBリアクター、明日、私たちが訪れる場所だ。ハンフォードサイトには、合計9つの原子炉が建設され、それぞれアルファベットの一文字がリアクターの名前として付けられたという。原子炉は、空からの襲撃に備えて広大な敷地内に点在するように建設された。遠目に見れば、あんなオモチャのように見える建物のなかで核兵器の原料が作られていたとは信じられないくらいだ。近年、その施設の一部を国の史跡として整備し、見学者を受け入れるようになっている。今回の会議にあわせて、その施設の見学ツアーが予定されていたのだった。

高台には腰掛けられるような小さな眺望台もあって、私たちはそこでサンドウィッチを食べることにした。川に近いからか風が強く、広げたサンドウィッチの包み紙は、広げるそばから飛ばされていってしまう。丹羽先生は、スティーブの車から降りるなり、自生している植物に近づいて、これはなんとかの種類で、なんとかがなんとかで、これがこんな風に生えてるんですな、ふむふむ、あ、あそこに生えているあれはなんやろうか、日本のなんとかに似ているけれど、違う、しかしこれはこれがこうだからこうで…と喋りはじめた。私に日本語で話したかと思うと、まったく同じ内容を英語で同行のアメリカ人に向かっても話している。奥様方は、そのうち目を丸くして、そう、彼はきっと生物学者だから植物に興味があるのね、と合点顔で頷きあっていた。私は、内心、いえ、丹羽先生はこれが専門だから、というわけではなく、いつもこんな調子なんです。確か生物学者とはいっても植物の形態学や分類学は専門ではなかったと思うし、と思っていたのだけれど、植物のプロフェッショナルということにしておいた方が通りも良さそうなので黙っておくことにした。

サンドウィッチを食べ終わって、このすぐそばに、このあたりでもっとも古い建物の跡が残っているというので、歩いて行った。木造のキャビンが、野ざらしのまま朽ちかけている。粗末なフェンスに囲まれて、これを保存していると言えるのだろうか、というような管理なのだが、不釣り合いにきれいな石版プレートが設置され、文字が刻まれている。ハンフォードサイトが建設される前に、このあたりには集落があり、人々が生活していたことなどが書かれていた。眺望台にも写真入りの説明のプレートが設置されていた。コロンビア川は、はるか昔からネイティブ・アメリカンにとってはサーモンが捕獲できる豊かな漁場として知られていた。1800年代半ばから白人の入植がはじまり、1900年代からは灌漑によってリンゴなどの果樹栽培がはじめられ、入植地ができていったのだという。私は、アメリカの「フロンティアの消失」はいつだったろうか、大西洋を挟んでヨーロッパに面した東海岸から入植ははじまったはずだから、西海岸に近いこのあたりは、「フロンティア」が最後まで残った地域になるのかもしれないとぼんやり世界史の授業を思い出していた。この風景は西部劇の光景そのままだ。馬にまたがった白人入植者たちがいまここを歩いていてもまったく違和感はない。そして、それらの人びとは、ハンフォードサイトの建設によって立ち退きを迫られることになった。先住民を追い払って開拓した入植者が、今度は国家によってふたたび追い払われることになったわけだ。一緒にプレートを眺めていた丹羽先生が「あんた、核施設ができるところは、世界中どこでもこういうことが起きとるんやで、えらいことですわ」とポツリと言う。私は、その前年に訪れた南オーストラリアの核実験地の砂漠のことを思い出した。白人にとって不毛の地と見なされた広大な砂漠は、核実験の適地とされたが、先住者であるアボリジニにとっては生活のためのかけがえのない場所だった。核実験によって恵みの土地からアボリジニは追われ、見知らぬ土地で生きることを迫られた。それは、オーストラリアに限ったことではない。世界各地の核施設、核実験地とされた場所では、建設される際に先住者が追い立てられ、そこには大抵の場合、広大な無人の地が広がることになる。私は、自分の育った広島で出会った被爆者を思い出していた。未曾有の災厄をもたらした兵器が開発された場所を眼下に見下ろして、それを開発した人たちの後継者と私たちは笑顔で会話し、昼食を共にする。その出来事が人体にもたらした帰結を医学的に記録する責任者を務める人が私の横に立っている。なぜだか、ふたたび、アメリカ本土に到達することのなかった日本軍の戦闘機が、Bリアクターの上を舞う姿を思い浮かべた。

帰路は、私はスティーブの車に、丹羽先生はアランの車に乗ることになった。私はほっとして、裸足のスティーブが運転する車の助手席に乗り込んだ。あいかわらずスティーブはほとんど話さない。後ろの席のボニーは、ずっと編み物をしている。行きとは違う道を通って帰るのだと言う。車を走り出させてしばらくしてから、スティーブがボソボソと、丹羽先生にはまいったよ、と話しはじめる。自分が数学の専攻だったと話したら、数学は世界でもっとも素晴らしい学問だと言い始めて、あれやこれや褒めちぎって質問責めにするものだから、もう…。確かに自分は数学は好きだけど、だからといって数学だけがそんなに素晴らしい学問というわけじゃないし、そもそも自分はそんなに大したことをしているわけでもないし…。本当に疲れたのだろう、彼はため息交じりに話して、そのまま無言になってしまった。私は、一言だけ、丹羽先生はいつもそうなの、そういう人なの。と話して、心の中で大笑いしていた。丹羽先生はいつもこうで、なにかというと夢中になって相手を褒めちぎるのだ。私と初対面のときも「fantastic lady」だなんて言うし、スティーブのように謙虚な人はびっくりしてしまう。もともと無口なスティーブは、きっと丹羽先生の質問責めに疲れてしまったのだろう。私は話しかけないで、スティーブを少し休ませてあげることにした。しばらく砂漠地帯を走り抜けたあとに、周囲には農場が広がりはじめた。広大な荒地が、ある地点を境に、広大な農地へと変わる。それを可能としているのは、大規模な灌漑設備だ。コロンビア川の豊かな水を人工的に灌漑することによって、砂漠を農地へと変えているのだ。飛行機の窓から見たときに、円形に緑の農地が広がっていることを不思議に思っていたのだが、それは、水を散布するパイプを円を描いて回転させているからだった。ときおり、巨大なトラックがトレーラーを引いてすれ違う。荷台には、ポテトの絵が書いてある。このあたりはポテトの産地なんだ、とスティーブが教えてくれる。そのポテトはなんに使うの? 加工用、フライドポテトになる。日本では考えられない量のポテトだ。アメリカではこんな風に大規模生産農場からそのまま加工にまわされる野菜の方が多くなり、結果として、生鮮食品として流通するよりも加工されて流通するものの方が安価となり、生鮮食品を生のまま手に入れることのほうが贅沢となっていまっているそうだ。そのことがアメリカ人の食生活を不健康なものにしている、という話は、アメリカから戻ってから知ることになった。延々と続く荒野から、今度は延々と続く農地へと景色は変わった。こうやって人の力によって、風景さえまるきり作り変えて国土を作り上げてきたのが、アメリカという国なのだろう。一方で、そのすぐそばには人の力では到底管理しきれないとも思える広大な自然が広がる。それは、鬱陶しい湿度とともに爪に火をともすように野山や集落を維持してきた日本とはまったく異質の世界観であるように感じられた。道路の両側は、今度は果樹園だ。リンゴの実がなっている。リンゴも作っているのね。後ろの席のボニーが今度は答える。このあたりはフルーツの産地としても有名なの。いろいろ作っているわよ。ナシや、ブドウや、リンゴ…。生でも食べるし、ワインに加工もする。奇遇ですね。福島もフルーツの産地なんですよ。まぁ、それはいいわね。ここのフルーツも美味しいわよ。スティーブとボニーの車でのポツリポツリとした会話は、饒舌さとはほど遠く、だが、この乾いた土地のダイナミックとも素朴とも言える景色に似つかわしいものであるように思えた。


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物を書いたり、本を読んだり、考えたりするのが好きです。 『海を撃つ -福島・広島・ベラルーシにて』(みすず書房)というエッセイを出しました。

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