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福島復興あれこれ:処理水問題の今後

 処理水の放出のための施設工事認可を福島県と大熊双葉両町が了解しました。これによって本格的な工事がはじまる、というのが「建前」ですが、現実に、すでに見切り発車で工事ははじまっていますので、審査は体裁だけのもので、実質的には意味はほとんどない手続でした。

 河北新報が7月に詳しく報じていますが、地元では、4月22日の東電の発表前から「東電、もう工事始めてるらしいよ」という噂は出回っていました。(ついでに、4月22日に公表したのも自発的なものではなく、工事しているところを「見つかってしまった」からやむなく、とも流れてきています。25日から開始する、と東電は発表しましたが、実はそのもっと前から工事は始まっていたようです。)
 こういうことをしたら、あたりまえのことですが、たいていの人は不信感を持ちます。「地元からの信頼の回復に努める」といいながら、敢えて信頼を損なうような行為を続けて行う感覚がまず理解できませんし、また、地元からの理解の醸成に努めるよう東電に言っている、原子力規制委員会や政府、自治体もこれにかんしてなにも言わないのは、「信頼」をどうやって築くかについて、誰もまじめに考えていないことを強くうかがわせるものです。

 このあとの影響ですが、政府・東電は、放出までに関係者、特に漁業関係者からの理解を得る、と繰り返し言っていますが、「なにをもって理解を得られたとみなすのか」の障壁が高くなった、ということがひとつ言えると思います。
 今回の経緯は、少なからぬ関係者にとっては、さらに不信を上乗せさせるものとなったことでしょう。そうなると、「理解を得る」障壁はさらに高くなることになります。構成員のなかで強い不信感を持った割合が増えれば、組織の執行部は、それを無視した対応をすることはできませんし、また、組織内での調整も非常に難しくなります。
 そもそもが「理解を得られた」とは、どのような状態のことなのか、誰が評価するのか、ということも決められていません。となると、なし崩し的に一方的に「理解を得られたとみなす」と「政治決断」して強硬な放出に踏み切る可能性も高くなります。そうなれば、今度は、不信が高まるどころではなく、信頼が完璧に崩壊する、という事態になります。こうなるともはや、風評がどうとかいう次元の話ではなくなる混乱が起きることになってしまいます(福島県内限定かもしれませんが)。

 そうなってきた時に、もうひとつ問題となるのは、大熊双葉両町と他の地域住民との関係です。エネ庁方面をはじめとして政府は、首長レベルでは双葉大熊両町の立場を支持する人が少なからずいるため、地元対応についてあまり気にしていないようですが、地元の住民感情と首長・自治体レベルでは意識が大きく違います。

 河北新報の記事に、以下のコメントが引用されています。

 海洋放出反対を崩さない県漁連の野崎哲会長は「立地町は処理水の処分は町のためになるのだろうが、われわれの考えを理解してもらえず残念。今後も手続きが法的に齟齬(そご)がないかどうかを注視する」と語った。

https://kahoku.news/articles/20220802khn000044.html

 風評を受ける立場の地元住民レベルでは、海洋放出を支持している県や双葉大熊両町に対する反感が強まる可能性もあります。そうなると、地元社会に及ぼす影響は甚大なものとなり、暮らしづらさがさらに増すことになりかねないです。

 こうした社会的対立は、利害の対立する社会紛争事案で起きるのは「あたりまえ」のことです。そのことが社会の亀裂を増し、やがては、社会機能そのものを弱体化させていく方向へとつながっていきます。目先の目的は手っ取り早く果たせるかもしれませんが、誰にとっても利益は産みません。それを避けるために、透明性を高くした協議の場を設けることによって、地域社会の安定性を確保すると同時に、よりよい打開策を見つけていく、という手法が有効である、ということがこれまでの経験からは明らかになっています。

 現在の政府内に、こうした大きな枠組みをコントロールできる勢力はどこにも存在せず、意思なき行政組織が決まったタスクを果たすために前進し続けているだけなのだろうと思います。こういうことを続けていると、ただただ社会は弱体化していくだけなのに、と思っています。

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