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コロナウイルスで得たもの@メキシコ

3月から5月までの数ヶ月過ごした、メキシコで外出自粛期間。自分は7月末までの政府による国費留学に参加してたけど、実は3月の時点でお願いして日本に帰ることも可能だった。実際に一緒に国費留学で来てた人たちでも帰った人はいるし、他の国に留学してた人のほとんどは3月には日本に帰っていたと思う。

「なんでメキシコに留まったの??」「留まってメリットはあったの??」

っていう疑問が多そうだから今回はそれについて書いてみようと思う。


まず、なぜもっと早く帰れるチャンスがあったのに帰らなかったか。それは、単純にメキシコが大好きで離れたくなかったから。やり残してることも多かった。7月までいる予定なのに帰れと言われるのは、目の前が真っ暗になる感じ。充実してたメキシコでの日々を手放すこと、沢山の友達と別れなきゃいけない事は到底受け入れられなかった。それ程までにメキシコが大好きになってた自分にも驚いたけど、その当時日本に帰ることなんて考えたくもなかった。

6,7月には全て元どおりになることを祈ってとりあえず帰国は見送り留まることに。


でも皆さん知っているように、元通りになる兆しはみえるどころか感染が拡大し続けているメキシコ。そんな状況でも残るというのは良い判断だったのか。

結果的には、メキシコに残って本当に良かったと思っている。(あくまで結果論)

新しい土地を知る

まず、最初のブログにも書いたようにコロナウイルスの影響をもろに受けて引っ越しをしたけど、そのおかげで今まで知らなかったメキシコシティの地区を新しく知れたこと。メキシコシティは、果てしなく拡張し続けながらも、それぞれの地区、駅が違う性格を持っていて歴史的にも奥深い街、ってずっと思ってたけど、また新しい場所に住めたのは良い経験だった。

メキシコシティは16のdelgación(区みたいなもの)に分けられているて、自分のメキシコシティにおける居場所は以下の通り。

Benito Juárez(8-11月)         Coyoacán(12-3月)         Iztapalapa(3-5月)

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最後の数ヶ月住んだIztapalapaは、初めて住む地区で普段行くこともあまりなかった場所。治安が悪いことでも有名だけど、自分がいたところはCoyoacán地区にも近い閑静な住宅街でかなり治安は良かった。

まずそこで思いがけなく得たものは近所の友達。ほぼ毎日一人でボールを蹴りに公園に行ってたけど、フレンドリーなメキシコ人はそんな自分にすぐ声をかけてくれて仲間に入れて相手をしてくれた。留学中色々なメキシコ人と知り合ったけど、やはり知り合うきっかけは友達の友達がほとんど。でも公園で知り合った彼らは、普段の留学生活では知り合うのがまず難しい人たち。人間味があって温かい人たちが多かった。

通いつめた近所の公園 ↓

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その中でも特に仲良くなった友達とは、サッカー以外でも会う仲に。自分が新しくこの地区に引っ越してきたことを知ると、何度も自分を誘ってくれて近所案内をしてくれた。自分の近所には意外と日本に関連するものが多かった。

まず、Parque Masayoshi Ohira 

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これは、1980年にメキシコを訪問し二国間関係の発展に貢献した、日本の元総理大平正芳元総理を称えて造られた公園。日本でもなかなか見られない完全に和の公園。メキシコ人の憩いの場になっていてとても雰囲気の良いところだった。

次は、日本とメキシコのハーフのアーティストが書いたmural(壁画)と友達↓

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この壁画の写真をインスタに投稿したら、日本語を勉強してるメキシコ人の友達から多くの反応をもらって、その界隈ではある程度有名なアーティストだとのこと。壁画運動が昔から盛んなメキシコ。普通の住宅街にある壁にも、レベルの高い壁画描いてあることもしばしば。


最後に、家から歩いて50mのところにあるメキシコ人が経営する小さな寿司屋。寿司屋といっても、生の魚を用いる日本の寿司とは違ってチーズ、アボカド、果物を使ったいわゆるカリフォルニアロール。最初は抵抗があったけど気づけば大好きな食べ物の一つに。

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この店の店主は日本にまだいった事はないけど、日本の食文化に傾倒して寿司屋を開店したメキシコ人。寿司を買うついでにその店で彼と他愛ない話をしながらチェスをするのが気づけば習慣に。

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こんな風に、近所の人たちとの繋がりに助けられながら新しい土地を知ることができて、結局引越してよかったなと思った。


メキシコの家庭

もう一つ、コロナのおかげでできた事は、メキシコ人の生活に密着できたこと。自分が最後の数ヶ月住んでいた家は、90歳のおばあちゃんとその息子娘たちが家主でそこに自分がホームステイさせてもらった。思い返せば留学中、自分は基本的に家にいる事は少なく、何もかも外で済ませてきた。だから、メキシコ人が家の中でどういう生活をしているか、今まで知らなかったことをコロナで家にいる時間が長くなって知ることができた。

メキシコ人の食文化は日本のそれとかなり異なって、15-17時ごろに友人や家族とがっつり食べるのが一般的。お米・スープ・肉料理が全部ついた Menú del día というメニューを約400円の安価で提供する大衆のレストランがたくさんある。自分も行きつけのレストランがあって、コロナが拡大する前はほぼ毎日食べに行っていた。特にライスとスープはどうやって作るのか気になってたけど、ホームステイ先で毎日それが作られるのを隣で見ていたらなんとなく覚えられた。大家さんたちはとても優しくて、余った食べ物もいつも自分に分けてくれた。

Arroz a la mexicana (メキシコ風ライス)と Consomé de pollo(コンソメスープ)

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そして、メキシコ料理に欠かせないのが salsa と呼ばれる辛いソース、ライスにもスープにも肉料理にもなんでもかけられる。

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辛味の素となるChileとその他の野菜を焼いて

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それをミキサーで粉々にし、塩と水を入れたら完成。

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食べ物以外で日本人と違うなと思ったのは、家の中で常に音楽がかかっていること。その影響で、日本に帰ってきてからすぐスピーカーを買って家でもずっと音楽を聴くように。一緒に住んでた90歳のおばあちゃんがいつも聴いてた音楽は、自分のプレイリストの定番曲である。


なんやかんやで家の中でも楽しく過ごしてたけど、外に出れない自分を退屈だろうと心配してくれた友達の家に遊びに行くことも。

そこでは、メキシコの映画をひたすら見て、おしゃべりしたり。呼んでくれた友達の家族の方々にも本当によくして頂いた。何か少しでも恩返しができないかと思って、今度は自分が逆に日本料理を作ったりも。自炊をした経験はほぼなかったけど、意外と美味しくできたんじゃないかなと思う。

カレーと天ぷらそば↓

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百人一首かるたの取り方を、興味があると言った友達に教たことも

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友達の家にいた犬、元気かな...

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パンデミックの時代に当たってメキシコ人がどう行動しているか直接見れたことも貴重だった(詳しくは一つ前のブログを参照)けれども、同時にこの2ヶ月はメキシコ人の持つ温かさを改めて感じることのできた濃い時間だった。大変な時期にあっても、外国人の自分をメキシコ人はいつも気にかけて受け入れてくれた。コロナがきっかけで経験できたことは多かったんじゃないかと思う。(でもこれはあくまで結果論である)

日本に帰国することを決めたのが急すぎて、友達全員にしっかりお別れすることは出来なかった。それでも、メキシコにまた近いうちに帰ってくるという理由が増えたと前向きに捉えたい。メキシコのみならず全世界が普段どおりの日常を取り戻すことを祈るばかりである...










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