支配者・ソクラテス。僕らの時代を覆う「哲学」とは?
1・哲学はなんでアテネで生まれた?
かの有名な哲学者たち、ソクラテス、プラトン、アリストテレスはみんなアテネの人です。
「なんでアテネだけ?」と疑問に思うのは僕だけではないはず。
それでアテネのことを調べ尽くした結果、僕はある結論にたどりついたんですね。
それは「お金=マネーを初めて生活につかったのが、アテネ人だ」ということ。
てっとり早くいうと、哲学はマネーのために生まれてきた。
哲学が栄えたのは、アテネがマネーにもとづく国だったから。
突然ですが、あなたの財布の中に入っているお金、ごくあたりまえに使っている千円札に、疑問を持ってみてください。
よくよく考えれば、くだらないものです。
千円札やら一万円札やら、こんなもの、ただの紙切れなんだから。
なんで、こんなくだらないものと引き換えに、最新のPCなどよこしてくれるのだ、という話ですよ。
小さい頃、こんな紙切れとどうして交換してくれるんだと、少しでも疑問を持った事がなかったですか?
僕は思ってました。千円札よりも、500円玉の方が嬉しかったです。キレイで重厚感があって。
なのに、なんでこんな紙切れの方が大事なのかというと、国が、この紙切れを引換券にしよう、と決めたからです。
それで「国がいうなら間違いない。みんなでこれを使いましょう、そうしましょう」と、国民で決めた。信用する事にしたんですね。
あなたは幼少のいつからか、いつのまにか千円札を使っている。「そういうものだ」と、いつしか考えることもやめてしまった。
いまはもう、円を使う事に疑問はない。居酒屋で一万円札をさしだす。
居酒屋の兄ちゃんも疑問はない。「ありがとございまーす!」と受け取る。注意して欲しいのは、本当に何の使い道もない、ただの紙切れを受け取った、ということ。
一万円札なんか、鼻をかむのにもすら不便でしょうね。
でも、そこに価値があると認知している。
鼻をかむ価値ではないですよ。
「別のなにかと交換できる価値」です。
これはもう、幻想状態ですね。
お互いにただの紙切れを信用している。
幻想を共有している。
国の用意した幻想です。
そして幻想に身をおく人間が多くなれば、それはそのまま一大勢力ですよ。
マネーは、発行した国の勢力圏をつくりだす。
このような勢力圏を史上初めてつくりあげたのが、古代アテネなんですね。
マネー。とんでもない発明です。僕はマネーの発明は素晴らしいものだと思います。
でも、そのあと、マネーをつくったはずの哲学は乱用されて、神になるわ恋愛(恋愛=LOVEも自然産物ではない。)になるわ、人を追いつめる道具と化してしまった。
この変質が大事。哲学は、かつてマネーという現実界の宝物をつくりだしたのに、変質して宗教チックになってゆき、ついにはGodまでもつくりだした。
この変質、宗教チックな哲学の元祖こそ、古代アテネのソクラテス・プラトン・アリストテレスです。
彼ら3人がGodの大本です。元締めです。人類史に「不自然さ」を導入した人物たちです。
「何をいってるんだ?」とお思いかもしれません。彼らは、哲学界の偉人ですからね。
「不自然」というのは、哲学研究家・木田元氏のコトバ。
この「不自然」とは、つまりは、野生をもぎとられた姿。
現代日本人も、つまらない学校いって、安月給のサラリーマンやって、恋愛がんばって、というテンプレートの中を生きてるけども、ここの不自然さと窮屈さにガマンできない人々が、いまは地方移住して農業やって、という、人間の自然状態に還ろうとしていますね。
『反哲学史』p102 木田元著 講談社 1995年
ソクラテス、プラトン、アリストテレスというギリシア古典時代の三人の思想家のもとで、自然に包まれそのなかで生きているいかなる自然民族にもかつて生まれなかったような不自然な思考様式、つまり『哲学』が世界史上はじめて形成され、軌道に乗せられたことになります。
その超自然原理、形而上的原理は、その時どき『イデア』と呼ばれ、『純粋形相』と呼ばれ『神』と呼ばれ、『理性』と呼ばれ、『精神』と呼ばれて、その名を変えてゆきますが、この思考パターンそのものは、その後多少の修正を受けながらも一貫して承け継がれ、それが西洋文化形成の、いや少なくとも近代ヨーロッパ形成の基本的構図を描くことになるのです。
このように『反哲学史』の木田氏は、哲学の源流はソクラテス・プラトン・アリストテレスにあるとし、全部ひとまとめに不自然であるとしています。
ただ、これは目新しい発見でもなんでもなくて。
新しいどころか、西欧では100年以上も前から論議されていることです。
上記引用の木田氏は、ニーチェ(1844~1900)・ハイデガー(1889~1976)の研究家。
ニーチェらは、ソクラテス達を糾弾する立場なんですね。
「人間の自然は、彼らによって失われたのだ」って。
「だから現代人は、うつ病の人間が多いんだ。」といって。
この思想様式を、欧米人はきっちりわかってるから、彼らは「遊び」を大事にする。
僕の友人が、ニューヨークの駅でラップやったりスケボーやってる若者に遭遇して「日本よりも自由だ」って感心してたけども、コレは「不自然な生き方にたいする抗議」なんですよ。
彼らは、200年前には神(God)に反逆したし、いまはグローバリゼーションに反逆している。
窮屈な幻想への反逆者なんです。
さっきの木田氏の引用文の中で
『イデア(※プラトン創作)』
『純粋形相(※アリストテレス創作)』
『神(※ユダヤ・キリスト創作)』
『理性(※デカルト創作)』
『精神(※ヘーゲル創作)』
これ全部、同じ意味なのだという指摘がありました。「すべて不自然の人工物」であって「窮屈な幻想」なんだと。
この一行が、僕ら人類史の2500年なんですよ。
2500年ものあいだ、「不自然」や「窮屈な幻想」に身を置いてきた僕ら人類。
なんでこんなことになったのか?
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