イタリア研修時代のこと③
さて、イタリアソムリエ研修の大部分を過ごす事となる研修先に到着。
お店の名は【トラットリア・ダ・オスカル】。
イタリア最大の湖、ガルダ湖の湖畔にあるトラットリアです。
オーナー家族のお父さんの名前が『オスカル』なので、【トラットリア・ダ・オスカル】。オスカルはシェフですが、イタリアソムリエ協会のメンバーなので研修生を受け入れていたのだと思います。
地元の食材をふんだんに使った料理が売りで、庭のハーブ、ガルダ湖のお魚や、山奥のチーズショップにわざわざ仕入れに行ったり、秋には地元の山のポルチーニも届きます。
ガルダ湖でゆっくり~といった感じの観光地でもあるので、ドイツからの方も多くいらっしゃっていました。
外観も素晴らしく、テラス席からはガルダ湖が一望できます。
地下に大きなセラーがあり、キューブ状のカーヴにワインがたくさん保管され、天井からはオスカルお手製のハムがぶら下がっています。
ランチとディナー営業があり、スタッフはマダム、私と同い年のソムリエとカメリエーレ(ホールスタッフ)、厨房に2人、忙しい時は長女(私の2歳下くらい)が手伝います。
マダムのヴァレリアとの初対面。第一印象は、優しそう!だったら良かったのですが、そうでもない…。その上、イタリア語が分からなくて初っ端ミスコミュニケーションでした。
「タオル持ってる?」と言われたのですが、タオルはイタリア語で『アッシュガマーノ』。この単語が分からず、後で「タオル貸してください」と言ったら、「さっきいらないって言ったじゃない!」と言われて貸してくれなかったり…(泣)このやり取りのおかげで『アッシュガマーノ』は絶対に忘れません。
言葉の壁は本当に高くて、毎日必死に生活していたような感じです。知らない単語が出てきたら紙に書いて部屋中に貼り付け、覚えたら剥がしてました。(笑)
遊びに来ているわけではないので、翌日からすぐ仕事です。最初はどこに何があるのか分からないのでカーブの中でワインの在庫と睨めっこ。銘柄もおぼつかない私にとって在庫の場所を把握するのは本当に難しくて大変でしたが、カーブの中はとても好きな空間でした。独特の埃っぽさ、保たれた湿度、ひんやりとして、少しノスタルジー。大好きなワインに囲まれて、まるで宝箱の中に入ったような感じでした。
ソムリエがいたので分からないことは彼に聞いていましたが、なんと、私がお世話になって1ヶ月後くらいに退職してしまい、ソムリエは私一人になってしまいました。
日本ではTOPレストラン以外はサービスとソムリエの仕事は混同されている場合が多く、ましてや、私はソムリエ資格を持っていないペーペーのサービススタッフでしたので、『ソムリエはソムリエ業のみを責任持って行う』という意識が全くありませんでした。
ヨーロッパでは特に分業制というか、まずは自分の役割をしっかりと果たすことが求められます。
「もうソムリエはmoca(モカ)なのだから、ワインのことだけに集中して!忙しい時はカメリエーレの仕事はしなくていいよ」と言ってもらった事で切り替え、残り4ヶ月はソムリエ業に専念させてもらいました。
と言っても、【トラッリア・ダ・オスカル】は週末はとにかく忙しく、誰かの助けなどをしている暇などなかった、ということもあります。次から次へと来るワインのオーダー。イタリアですのでホールではエレガントに、且つ、にこやかに、素早く動き回り、カーブへは走って降りてワインをピックアップ、階段を駆け上がり、エレガントに抜栓&サーブ。
日本でも忙しすぎるレストランで働いていたので、動き回るのは得意だったのが救いです。どの程度忙しかったかというと、研修が終わったと同時にコルクスクリューがぶっ壊れました!
【トラッリア・ダ・オスカル】ではチップを皆で分け合っていました。他の研修生はチップはもらえなかった人がほとんどでしたが、私の場合はありがたいことに初めから平等に分けてもらっていました。そのお金で休みの日には相変わらず行けるところまで出かけて地元ワインと地元料理の経験値を上げていました。
クラブ好き?なマダムだったので、週末は営業の後にみんなでクラブに出かけました。私は日本でもクラブには行ったことがほとんどなかったので、アワアワしましたが、せっかくなので誘われるがままについて行き、一緒に踊りまくりました!
時折、まとまった休みを取り、オスカル一家は私をフリウリやピエモンテのワイナリー、スローフードのイベント、ワイン関連以外にもサンマリノ共和国へ海水浴にも連れて行ってくれました。これも他の研修生には無かった高待遇だったようで、なんともラッキーな私でした。
そんな楽しそうに見える中でも一度体調を崩した事がありました。ウイルス性の腸炎で、ものすごい腹痛で血便が出てしまったのです。保険もなかったのですが、ホームドクターが診てくれ、原因はストレスだとのことでした。貰った抗生物質は抜群の効き目!2日後にはケロッとしていました。腸炎のおかげでイタリアでの腹痛対処法を知る事ができた事は貴重でした。とにかく砂糖入りのカモミールティーばかり飲まされ、クスクスレベルの極小のパスタスープを食べさせてもらいました。
毎日勉強もちゃんとしていました。なんてったって、この研修の後にはトリノで試験があるのですから!
研修中にオスカルのお父さんが亡くなってお葬式の間、お手伝いさんの家に預けられたりもしました。
クラブでナンパされて走って逃げたこともありました。
トリノで飲んでたら終電を逃して帰れなくなったこともありました。(日本と一緒…)
賄い後のカフェタイムのひと時、イタリアではスイカをフォークナイフで食べることを知りました。
いつの間にか、阿吽の呼吸になっていた同い年のカメリエーラのミケイラ。ガールズトークも楽しかった!
私がプライベートでお休みを取りたいとお願いした時のオスカルの言葉が嬉しくてたまりませんでした。「Manca di Moca.」直訳すると「モカ不足」。「トモカがいないと大変だよー」の意味でした。
アッシュガマーノ事件でびびっていた私ですが、いつの間にか仲良くなり、オスカルの一員になれていたようです。
研修最後の日、もちろん大泣きです!ミケイラと抱き合ってオイオイ泣いて旅立ちました。
と、ゆうことで、また長くなってしまったのでここまでにします。
次回こそ、締めます!
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