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長州力考 後編

 80年代はわが国のプロレスビジネスの隆盛期である。とくに新日本プロレスの人気には凄まじいものがあった。タイガーマスクの登場で会場には客が溢れ、テレビ中継の視聴率は平均20%を記録する。その影響から同団体では前座レスラーですら一部上場企業のサラリーマン以上の高給が保障されていた。
 プロレスを就職先として選んだ長州にとって、文句のない待遇だ。そこに甘んじてもよかった。甘んじられないとすれば、それは彼にレスラーとしてのプライドがある場合だ。
 長州にはまだそれがなかった。むしろ達観していたのではないか。自分は客を呼べるレスラーではない。務まるのは海外でヒール役程度。それもいつでも替えが利く。つまるところ、自分は決してアントニオ猪木にはなれないのだと。
 アントニオ猪木は新日本プロレスの象徴だった。あるいは日本のプロレスの、といってもいい。彼ほどの天才は現在にも存在しない。だが80年代、猪木は老いつつあった。糖尿病を抱え、かつてのように終盤まで対戦相手の技を豪快に食らい、その痛みを観客に訴えながら大逆転の試合展開を魅せることが難しくなっていた。猪木は自分のほかにメインイベント級のストーリーを展開できるレスラーが必要だった。タイガーマスク? 彼は軽量級だ。重量級の猪木に次ぐスターが欲しい。キャリアと人気からいえば藤波辰巳になる。だが藤波こそ小柄に過ぎた。大柄な外国人相手では見劣りがして、画面映えしない。藤波を光らせる相手としては同程度の体格のレスラーがいい。
猪木は長州力に目をつけた。つまり長州力に対藤波のヒール役をやらせようとした。
 伸び悩んだレスラーでも凱旋帰国のいまなら商品価値もある。多少の話題は集まるだろう。だが長州にできるだろうか。彼は体育会出身だ。年功の序を重んじる。年は長州が上でも、彼は藤波を先輩として立てて止まない。これまでの対戦でも遠慮が見えた。
 まあ1シリーズもてばいい。それきりとなれば、長州はまた海外へ出そう。代わりに若手の谷津嘉章を呼び戻し、藤波の相手をさせよう。
猪木は長州と面談し、自分の意向を伝えた。

 猪木の意向とは社長の意向だ。一社員である長州に否も応もない。帰国後のシリーズの中盤には藤波との対戦が組まれた。プロレスの世界ではしばしば対戦に至る伏線を張る。長州も猪木の指示でその伏線を張った。凱旋帰国後の合同練習で藤波に敵意を向け、マスコミの目の前で自分の立ち位置を明らかにした。
 藤波とのライバル関係は一応認知させた。だが問題は試合だ。長州は悩んだ。自分に出来るだろうか。海外で外国人相手にヒールぶるのに照れはない。それが日本人の、それも先輩相手となると、よほど思い切りやらないと動きに照れが生じ、ストーリーを客に見抜かれる。長州はそれを恐れた。
猪木も同様に危惧していた。自分が管理するリングで観客の失笑を買う展開は断じて許されない。
 この稿はすべて筆者の私感である。私感ゆえに想像で語るとすれば、おそらく猪木は長州造反のストーリーを長州にしか明かさなかったのではないか。
 長州造反が決行された1982年10月8日のその試合はメインイベントだった。しかもテレビ中継の予定もある。試合ははなから中継枠におさめる形で決着をつけなくてはならない。ただでさえ予定調和が強いられる試合において、長州の行動を周囲が承知の上であればどうなるか。藤波は余裕をもって長州のアジテーションをうけるだろう。レフェリーもその機会をそれとなく二人に与えるに違いない。試合は中継終了より前に決着がつける。画面はそこから長州と藤波の小競り合いを映し、放送終了となる。予定調和の上塗りはさらなる興ざめを生む。当日の同枠は野球放送の予定があったが、そちらが雨天中止となればプロレスは生中継となる。オンタイムで興ざめの試合が全国のファンの目にさらされるのだ。それは猪木には耐えられなかった。

 内内でのストーリー作りは長州に幸いした。その後楽園ホールでの試合、彼は名前のコールの順番に不満を露わにする。この時点で周りが「上手くやってるな」という表情を見せていたら、長州自身が興ざめしていただろう。しかし失笑は起きなかった。ゴング後もそう。味方の藤波に噛みついて見せると、セコンド陣は驚いたように声を失くしていた。
やがて不思議な現象が起こった。
 会場が湧いたのだ。長州の一挙手一動に観客が手を叩き、声援を送った。
 これは何だ? マイクアピールをしながら長州は戸惑っていた。まさかいま、客は自分に感情移入しているのか? なぜだ。
 答えは単純だ。観客もそれまでの展開に飽きていたのだ。猪木が君臨し、その後継者として藤波が控える。あとはトップ交代まで予定調和且つ勧善懲悪の試合が延々と繰り返されることに。
 観客の目にこの下剋上的ストーリーは人気の安定するプロレスへのアンチテーゼに映った。そしてそれを大いに歓迎した。
会場の熱気を味方に長州は造反のアジテーションを加速させてゆく。あわてて新間寿がリングに上がった。彼は当時のフロントのトップで、営業部長でもあった。新間は猪木をだれよりも理解している。これは猪木が仕組んだことだとすぐに察しただろう。ならばあとはリング下で長州の行動を見守ればいい。
 だが新間はリングへ上がった。そして長州をなだめようとした。おそらく彼はあわてたのだ。長州の行動があまりに常軌を逸し、藤波への憎しみに溢れて見えたからだ。フロント組とはいえプロレスの玄人である新間にしてこれだ。ファンの驚きと熱狂がいかほどであったか想像に難くない。
 長州の造反劇はライバルストーリーの序章としては上出来だった。
 史上稀に見るアドリブパフォーマンスをやってのけた彼は、ある意味この日をもってようやくプロのレスラーになったといえる。
 以後、長州は藤波の敵役としてのしあがってゆく。

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