全て。

私は、全て持っていた。
愛情深い両親、愛する夫、可愛い我が子。
広い家に、必要な家具も衣服も
お金など、どのくらいあるのか数えたこともない。使用人たちは何人もいて、私は家族と過ごすためだけに家に帰っていた。

それでも、私は忙しかった。
常に、あちこち行かなくてはならなかったし、実際のところ、家など寝るための場所でしかなかった。

私は常に誰かに付きまとわれ、それ等から逃げるために広い玄関を使うこともできなかった。

私はそれを面倒だと思っていた。
私の命は常に脅かされ、ひとりになることを許されなかった。

常に最善を尽くして行動せねばならず、
立ち止まる時がなかった。

すべてを得ているはずなのに、持っていないものなど何もないのに、私の心はいつも少し先の未来にあった。私の心はいつもここにはなかった。

物質的に満たされないものは何もないのに、
常に何かを追いかけて、何かに追われていた。

これが幸せなのか。

私は滅多に笑わなかった。
常に急ぎ足で歩き、空を見上げることもなかった。

娘の成長の節目にお祝いをしても、日々の成長を感じることもなかった。

本当に私は全てをもっていたのだろうか。

全てとは、こんなものなのだろうか。

私は笑わないまま、動けなくなって、倒れるように死んだ。

次に気が付いたとき、私は何も持っていなかった。

時間を切り売りして働き、質素な暮らしをして、日々生きるのが精一杯だった。
広い家もなければ、使用人もいない。
お金のない私になど、誰も見向きもしなかった。

それでも、私はいつも笑っていた。
青い空を美しいと思い、雨が地上に降り注ぐのを素敵だと思った。
なんでもないような小さな出来事で笑い、日々の食事に手を合わせ感謝をしていた。
道端に咲く花の歌を聴き、天に向かいそびえ立つ木と会話し、人と人とのつながりを大切にしていた。

何もないのに、全て持っていた。
常に自分の心と向き合い、今を生きていた。

きっと、私は笑いながら死ぬだろう。

ああ、こういうことなのかとわかったフリをして、
ああ、楽しかったと笑いながら、眠るように死ぬだろう。

だから今は、笑って生きていればいい。
誰がなんと言おうと、私はそれがいいと思ったから。

それが全てで、それだけのこと。

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