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”向こう側”の解説

実は、前に書いたnote”向こう側”は随分前に見た夢なのです。
あの文だけでは意味不明すぎると思ったので、解説を書こうと思っていました。解説ではなくてただの妄想じゃん、夢じゃん……って、はい。その通りです(笑)

文字では短く書いてますが、とても長い夢でした。苦しいことも辛いことも、嬉しいこともありました。私は夢だとも気付かずに、その時その時を、必死に生きていました。

いつからか時折、何かの声を聞いていることに気が付きました。どうして誰もわかってくれないの、という怒りや悲しみに、全部わかってるよ、という温かい言葉を感じ、綺麗なものを見て感動したときに、すごいね、綺麗だねと、一緒に感動してくれる、そんな存在がいることに気が付きました。でも、その姿を見ることはありませんでした。私はいつからかその存在を君と呼び、君の声を聞くようになりました。

そして私は君を探して、いろんなところに行き、いろんなことを経験しました。でも、どこまで行っても君に会うことはできなくて、どうして会えないのかと思いながら、絶命しました。

そうして向こう側に行ったとき、上下に果てしなく続く階段の途中で、私を見ている人がいることに気が付きました。とても綺麗な笑顔を見て、私はすぐにそれが君だと気が付きました。ようやく君を見つけた、やっと会えたという嬉しさと喜び、それと同時にどうして会いに来てくれず、こんなところで待っていたのかという悔しい気持ちでいっぱいになり、私は君に泣きつきました。そして、一方的に、心の丈を語り続けました。

語っているうちに、いつの間にか、君の視点で私を見ていることに気が付きました。私が語ることを、この階段でずっと見ていたことを思い出して、私に優しく語りかけたことも思い出しました。今すぐ飛んで行きたいと思ったことも何度もあったけれど、ここを動くことはできなくて、悔しくて堪らなかったことも思い出しました。

目の前を通り過ぎて行く人たちはたくさんいるのに、その誰一人とも目が合わない。誰も自分のことなんか見えていないように、こちらを見ることもなく黙って通り過ぎて行くのを、ずっと独りで見ていました。

本当なら、ここに留まってはいけないのだろうと思いました。本来、留まる場所ではないのだろうと。それでも、ここに留まることが自分の目的だと知っていました。

そのとき、何もかもを理解したような気がしました。私は君で、君は私。だから全ての記憶を持っていて、全ての感覚を共有できるのだと。

それと同時に、他人とはどんなに努力しても、私と君のように、同じ温度で同じ感覚を共有することはできないんだと気付きました。自分と同じ感覚を持っているのは自分だけで、全てを理解してくれる人なんて、自分以外にはどこを探してもいないんだと。

君に会えるのは一瞬で、その一瞬のために生きているんだということもわかった気がしました。実際は一瞬ではないのかもしれません。でも、向こう側ではそもそも時間の感覚が無かったように思えました。

この夢から目覚めたときは、絶望的な気分でした。こっち側では君に会えないのに、どうして目覚めてしまったのだろう。せっかく会えたのに、どうして帰ってきてしまったのかと同じことばかり考えていました。悔しくて悔しくて、ただただ遣る瀬無い思いばかりでした。

この夢を見た頃、いろいろ辛かったこともあり、向こう側に行けば君に会えるなら、死んだほうがいいじゃないかとも思いました。全てを理解してくれる君の存在は、それほどまでに素晴らしく、魅力的でした。

でも、君に会うために死んだとしても、君に会えないような気がしました。それに、あの場所から動けない君に、できる限りのいろいろな経験を見せたいと思いました。そのほうが君は喜ぶし、私も嬉しい。あの一瞬のことを思えば、こっち側の辛いことも苦しいことも、生きている全てが、君のための貴重な経験なんだ、と思いました。

喜びも悲しみも、全てを同じ温度で共有してくれる存在がいる。それだけで、全ての感情が報われる、そう思いました。

そして、私だけじゃなくて、誰でも君を知っている。ただ、今は忘れているだけ。

そんな気がしました。

スピ系で言われる”もう一人の自分”とは違うと思います。あれは私自身であって、もう一人の自分と呼ぶのは、ちょっとズレているような気がします。ただ、自分だけど自分ではない存在というか、向こう側の自分はもっと大きな存在の一部分だから、今の自分=向こう側の自分ではない気はします。
例えるなら、こっち側の自分は人として存在しているけど、向こう側では誰かの血液の中に存在するヘモグロビンのひとつとか、そんなくらいのイメージでした。

仏教で、苦しいときは仏様が肩を貸してくれる。だから一度その気持ちは仏様にお預けしましょう、みたいな教えを聞いたことがあります。それが向こう側のことなのかなぁ、とか思うけど、本当に仏様が肩代わりしてくれているのかもしれないし、これはよくわからないです。すみません。

魂学でいうと、向こう側はアカシックレコードで、君に会っていたのはデータの一部を上書きしてただけのことなのかな、と思いました。それをたまたま夢に見て、私の脳内変換で、君と私が会うという認識をしているのかもしれないです。今の私が一番嬉しいと思うパターンで、生きる目的を達成させるための報いを受けている……みたいな。そうなのか?

そういった感情も含めて、全てをフラットにした状態じゃないとアカシックレコードの、本当の姿は拝めないのかもしれないですね。君がめっちゃイケメンだったので、私にはアカシックレコードがイケメンに見えるのかもしれない。そんな馬鹿な……。でも、否定しきれない自分が情けない(笑)

私には、向こう側は果てしなく続く殺風景な階段に見えました。大きなデパートの、エレベーターの脇にあるような殺風景な階段を狭くした感じ。他の人には、お花畑に見えるかもしれないし、火の海や針山のある荒野に見える人もいるかもしれません。

向こう側は死後の世界だとも思われそうですが、ある意味そうであって、そうじゃないと思います。あの階段のある空間は、それまでにも何度か見たことがある気がしました。同じ場所の認識だけど、毎回見え方が違う気がします。

他の人がサイコロみたいな四角い物体に見えたこともありました。その時は自分もただの四角でした。列からポンとはみ出てみて、初めて自分が四角で他の四角と一緒に並んでいたことに気が付きました。並んでいるというよりは、一定方向に一定の速度で進む隊列みたいなもの。慌てて列に戻ろうと思ったけれど、隊列が瞬時に私のマスを埋めてしまって焦りました。ですが、周囲を見てみたら他にも私のように浮いている四角もあったから、べつに良いのか〜と呑気に浮いていた気がします。

憶測と感覚だけで書いてしまいました(;'-')

これは、私が見た夢であって、他の何でもありません。それだけは、確かなことです。


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