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大東京の片隅から

たとえばいつもの喫茶店で、今日は店員がいつになく仏頂面で、頼んだコーヒーをガチャンと、いくらか乱暴に置かれた気がする。

店員はその日、アルバイトに来る前に散々な目に遭って、仕事中でも笑顔を作れなかった。
本当はさっきこんなことがあって、バイトどころじゃないんだと優雅にくつろぐ客たちに言って回りたいくらいだった。
今日は、常連にだって愛想をふりまけない。
今日は、今日だけは、見逃してほしい。
店長のコーヒーはいつだって最高だから。


小さい頃、先生は、どこをとっても正しい「先生」でしかなかった。お母さんは、お母さんとして生まれてきたとしか思えないくらい「お母さん」だった。そして店員さんは、オレンジジュースを運んでくれる名もなき「店員さん」だった。

けれど、先生にもずる休みしたくなる日があって、お母さんだってもちろん子供時代があり、店員さんには、お店よりよっぽど大事なことが山ほどあった。

今でもその類のことを半ば盲信していて、店員はいつだって、きちんと品質が統一化された笑顔とコーヒーを提供してくれると思っている。(それが店員の仕事だからだ。)
そして当然のことながら、店員は客に不平をこぼさない。
だからこちらも、コーヒーをすすりながら、昨日と今日とで店員の態度の間違い探しをおこない、乱暴に置かれた(ような気がした)コーヒーの原因を慮るしかない。

本当をひとつ話せたら、もう一歩だけ寄り添えるかもしれないんだけれど。


忙しない日常と疑いのない理が目一杯に広がる世界で、その隙間からこぼれ落ちた、見過ごしたくない生活の機微がある。

そんな、大東京の片隅から。

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YURIKO NAKAMURA
長いのに読んでくれてありがとうございます。