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3月20日(金)

「夕日」

今日もいつもの如く大学生の生活をしていた。

あまり寝ておらず疲労も結構たまっていた。夜にしっかりと寝るのがベストなのだが、友達がいるとつい楽しくなり一緒に起きてしまう。大学生って感じだ。

睡眠時間は合間合間で取りながらそれぞれの作業を進めていく。友達を15時くらいに家に送り、私は気ままにドライブしようと思った。昨日でしっかりと春の訪れを感じて、今日はドライブでこちらから春を感じに行く。

地元の大きな公園にはたくさんの方々が各々楽しんでいた。家族連れで賑やかに過ごす人もいる。大学生くらいはレジャーシートを広げて春を楽しんでいる。私は写真を撮りにいく。目的は違えど、みんな春を楽しみながら過ごす。

この風景を見ながら私は幸せを感じていた。家庭環境が特殊だった私には平和そのものが眼前に広がっていた。

私がこんなごくありふれた家庭で育っていたらどうなっていたのだろうなんて想像しながら平和の風景に身を投じる。直接関わりはしないが、心を風景に向けながら平和に参加する。

幸せをもらいながら写真を撮っていく。夕方の優しい明りに照らされながらいい写真が撮れないかと模索する。春を感じさせる花を主役にしながら一枚いい写真が撮れた。もう一枚クスノキを題材にした写真もそこそこの出来栄えだった。そうこうしているうちに公園の周りを一周していた。

自然をしっかりと満喫した後は一人カラオケタイムである。一人で誰にも聞かれずに歌うというのは非常に気持ちが良い。今日は祝日だったので1時間みっちりと歌った。そこからまた少し遠くの公園に行って私の大好きな夕日に逢いに行く。夕日は私にこたえてくれるかのように公園に着いたとき、私を出迎えてくれた。

この私が愛する夕日を感じながら散歩をして写真を撮っていく。夕日を題材にした写真というものはなぜこんなにも美しいのであろう。私は夕日に恋をしたままである。生まれてから今までの間、夕日は私を何度救ってくれたであろう。この暖かさがあるから私というものは存在できている。

そんな夕日をバックにしながら木々の写真を撮っていく。この時間でしか撮れない写真。肌に感じる空気。周りにある全ての自然を感じながら、私は自然に愛を注ぐ。自然もそれに応えてくれているかのように私に素敵な写真を提供する。この素敵な関係性を生み出す夕日には感謝である。

そこから家に帰り、いつものように友達に今日の出来事を語り合いながら幸せの床に就く、、、。


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