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桃を食して、歴史と明日を想う

日本の白桃は、世界で最も高級な果物として尊ばれても良いと思う。

私の浅い知識を照らし合わせると、西洋における魅惑の果物は林檎で、ギリシャや東欧あたりだと柘榴、そして東洋が桃。
どう考えたって桃が一番美味しいし、食べた時の感触が、一番官能的よね。

栄養学的な問題がなければ、私は桃だけ食べて生きていきたいとさえ思うけど、その思考に至る度に中国の都市伝説を思い出してしまい嫌な気分になる呪いにかかっている。

唐突ですが、皆様は生まれる時代を間違えたと思うことはありますでしょうか。
私はわりとあります。
スマホがなかった15年前よりも、今の方がずっと良い時代になった、今を生きれて良かったと思いますが、その一方で、私はもっと昔に生まれても楽しく生きていけただろうなと想像するのであります。

私は、明治とか大正とかの時代の小金持ちの娘に生まれたかったな。
未だ所有することが難しい舶来品に心躍らせるような日々を過ごしたかった。
たぶんその頃は、ガラス香水瓶に入ったすずらんの香水とか、薔薇の石鹸とかが、今よりもっと香しいものだったのでしょう。

物の価値が自分からの遠さで決まるものだとしたら、手に入れることができないくらい遠い物ばかりが存在したその時代の方が、今よりもずっと価値に溢れた豊かな時代ということになる。

今は欲しい物を興味をもって調べるとなんでも値段がでてきてしまう。
純粋に不粋である。
更に、確かに私はこの服を欲しいとは思いましたが21万円ほどの対価を払っても良いと感じられるほど欲しいという情熱ではないということが理解できました、完。という事態になります。やれやれ。

平安時代に生まれて、皮肉を薄絹の衣に包んで文学バトルをやるのも楽しそうかも。なんにしても、私は言葉で遊んでくれる人が大好きなのです。
気の利いた言葉で日常会話を返してくれる人がいるかどうかは、私の幸福度に大きく左右されます。
嫌われそうな発言すると、本来的には気の利いた会話しかしたくない。
この欲求に関しては、きっと平安の頃から同じ思いの人はいたでしょうね。みんな冗談の一つでも言いたいし、上手いこという~とか感心したいよね。

明日の私が、冴えたこと言えますように。


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