アンパンマンと豊かさ

「ゆたかさ」というテーマを、私の好きなアンパンマンをもとに考えてみようと思う。

アンパンマンの特徴といえば、自分の顔をあげるところだ。これが本当にすごいなぁと思わざる負えないのは、アンパンマンの顔が「減るもの」であるにも関わらず、自分では作れないからだ

と言っても、長編アニメのすべてを把握しているわけではないので断言していいのか定かでないが、「アンパンマンが自ら顔を作るシーン」を見たことがある人はいるのだろうか。少なくとも、「顔が汚れて力が出ない。ジャムおじさん(アンパンマンを作った町のパン屋さん)に知らせて」というおなじみのセリフから、なんでも自分でなんとかしなくてはならないという固定観念はないことがうかがえる。

アンパンマンの顔というのは、汚れていなくても欠けていくだけで、その量に応じて力がでなくなってしまう。つまり、アンパンマンの顔は、人間でいうところの体力のようなものなのだ。人間が動けば動くほど体力を消耗していくように、アンパンマンも顔を配れば配るほど力が出なくなっていく。アンパンマンからしてみれば、ばいきんまん(アンパンマンを敵視し、みんなが喜んでいることを嫌がるキャラクター)から困っている仲間を助けることは日常茶飯事なのだから、体力を温存しておくために顔をあげるのを出し惜しんでしまいそうなものだが、アンパンマンはそうしない。

それは、アンパンマンが常に自分にできることに集中しているから、そして他者を信頼しているからだと思う。

アンパンマンは、圧倒的にジャムおじさんを信頼している。それは、映画『それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ』の中のこんなシーンからもよくわかる。ばいきんまんが町を汚してまわり、「アンパンマンごう」も汚されてかまどが使えなくなってしまった。かまどがないとアンパンマンの新しい顔が作れないのに、仲間をかばったためにアンパンマンの顔は汚されてしまう。それでも、何とかしなくてはと考えているアンパンマンが再び立ち向かおうとするのを、弱ってしまったのだからと止められた際にアンパンマンはこう返した。

だいじょうぶ。ぼくのかおは、何度でも、ジャムおじさんがやいてくれるから。

アンパンマンは、自分の顔を焼くことができない。しかし、ジャムおじさんにはそれができる。ジャムおじさんは、アンパンマンと同じようには戦えない。しかし、アンパンマンにはそれができる。お互いができることをしあうことで、一人ではできなかったことができるようになり、生活が豊かになっているのが、アンパンマンの世界(アンパンマンワールド)なのだ。

アンパンマンの世界(アンパンマンワールド)は、一見するとアンパンマンが一人で守っているようにも見えるかもしれないがそうではないそれぞれのキャラクターが自分にできることをしているおかげで、成り立っているというほうが自然だ。そして、アンパンマンはそのことがよくわかっている

アンパンマンは、困っている仲間を助けているからといって自分のほうが偉いとは考えていないのだろう。それぞれにできることは違うが、違っているだけで優劣などないというわけだ。

アンパンマンのセリフに「他力本願では?」と感じた方もいるかもしれないが、他力本願はもともと仏教の言葉で、仏様の力をお借りしようというニュアンスものであり、他人まかせにするというような意味ではない。(わかりやすく紹介しているサイトもあるので気になった人は調べてみてほしい)

神や仏ではない我々に、何もかも完璧にこなすことなどできはしないし、そもそもその必要がない。なぜなら、私たちの周りには自分以外にも人がいるのだから。アンパンマンとジャムおじさんのように、お互いのできることとできないことを補い合えばいい。そのほうが、一人で何でもしようとするよりも広がりがあるし、豊かだと思う。

だから、自分のできることに集中して、できることを伸ばしていくのがいいと思う。個性や自分らしさと呼ばれるものもそういうことなのだろう。自分にできることをして他者に貢献し、できないことで人とつながればいい


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