日々のこと。#03
少しずつ取材をすることが増えたこの1年。
日に日に物忘れの症状が出てくる祖母。
普段はニコニコ笑っているのだが、気分の浮き沈みが激しくなってきた。
忘れやすくなり、怒りっぽくなり、誰かを疑い、寂しさを感じ。
日々葛藤していることすら忘れているかもしれないけれど、それでも、何があっても、最後に抱きしめたくなるような人生であってほしい。
孫からの願いをカタチにできないかと試行錯誤。
よし、聞き書きをしてみよう。
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並河宮子(なみかわ みやこ)和歌山出身・昭和7年生まれ(84歳)
◆温厚な土地、和歌山でのびのび育つ
子どもの頃から活発な少女だったそう。優しい父母に愛情たっぷり育てられ、すくすくと成長。最高身長は165cmほど。小さい頃は友達と犬の散歩や、虫とり網を持って走り回る日々。旧姓は島田。
中学校では卓球をしていたのだとか。今でも卓球は得意で、デイサービスでも手加減はしない。教科では、算数が好きだった。
◆洋裁で家計を支える
25、6の時に洋裁の先生をしており、その際に縁があって京都・亀岡へ。そこで牛飼いをしていた故・昭雄と出会う。人が良く、嘘をつかない性格に惹かれ、和歌山に連れて行ったそう。
その後、27、8の頃に和歌山から亀岡に嫁ぎ、牛飼いを手伝うように。2人の子どもに恵まれ、乳飲み子を抱えながら仕事をする日々。
ご近所付き合いをする暇もなかった、と当時を振り返ります。
決して裕福ではない暮らしだった。おとなしく実家にいれば経験しなかったはずの苦労。それでも、惚れた弱みと言うのでしょうか、嫁いできた頃に覚悟を決めました。大好きな洋裁をしながら家計を支えるたくましい女性。
中でもブラウスを作るのが好きだったそう。
その後、近所の大学で清掃員を15、6年ほど。
「さあ、次は1号館あいたで!」と言いながら自分だけとっとと掃除を始めたのだとか。その分人よりも給料が多かった。頑張り屋で負けず嫌いな一面が垣間見えます。
◆ 一番印象に残る出来事
一番嬉しいときは育てた牛を売ってお金が入ったとき。
-えっ? 結婚したときとか、子どもが生まれたときとかじゃないん?笑
いつでも長靴を履いて牛を育てて。対価としてのお金の価値を誰よりもわかっていたのかもしれません。(想像を絶する苦労だったのかなぁ)
初めて余裕ができて、農協でパンを3つ買ったときのことを話してくれました。
娘が喜んだ様子を鮮明に覚えている。
あまり大したことはできなかったけれど、それでも結婚させて、ピアノを持って行かせたことは誇りに思っている、と。
また、近所で集まると「あんたよう立派に息子はん育てはったなあ」と感心されることを、いつも嬉しそうに話します。
貧乏だったけれど、それでも一生懸命育てた子ども達はかけがえのない財産。
12年ほど前に昭雄が亡くなり、そこからはずっと1人暮らし。身の回りのことはできるだけ自分でやっています。
◆宮子's favorites!
歌を歌うことや、友達と会って話しをすること、美味しいものを食べることが好き。孫が言うのもなんですが、手先は器用で、色塗りや水墨画や手芸等、割と多才です。「宮子先生、教えて〜!」と声をかけると、干し柿もやってくれますし、畑の知識もあります。
負けず嫌いなところもこれらを伸ばした要素かもしれません。
洋裁の好きなところは、出来上がったときの喜び。この達成感は牛飼いや手芸、草引き等、おばあちゃんの全てに通じる気がしました。
そして今は、デイサービスの先生の大ファン。気が優しくて、一生懸命やった分、褒めてくれる彼に夢中なのだとか。恋心はいつも原動力のよう(笑)
毎日脳トレも頑張っています。本を食い入るように見ながら、衰えないよう頭を働かせます。
◆大事にしていること
嘘をつかない(家訓)
口を慎む
「心」
近所の人と嫌なことがあっても気軽に挨拶をするように心がけること。
デイサービスでは積極的に「お元気ですか?」と声をかけ、介護をしてあげるそう(笑)
そんなおばあちゃんに、最後に願いがひとつ叶うなら?と聞いてみると、
「早く死にたい」
とのこと(笑)
いけるとこまででいいんですって。でも、なんやかんや長生きしそうやな〜
余生はあまり周りに迷惑をかけず、死んでからも「良い人やったなあ」と言われるように過ごしたい、と言っていました。
大丈夫、もう迷惑かけてるから気にしないで!笑
いつも葬式代を気にするおばあちゃんに「鳥葬」を勧める息子と孫。冗談が言えているうちは大丈夫かなって思ってます。
あとは、鍵とかいろいろなくしたり忘れたりするのに、買ってあげたものとかはちゃんと覚えています。ま、いいんやけどね。それよりもうちん家の鍵早く見つけてね。笑
長くてもあと10年!楽しく生きようね。
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<あとがき>
△おばあちゃんの部屋の掃除をしていて見つけた謎の絵(笑)
人に嫌われないように、周囲にとても気を遣う人。周りを気にしすぎることで、自らを生きにくい状況に追いやっているような一面も。
話しを聞いていて、「これだけできた」ということが彼女の自尊心を支えている気がします。だからこそ、最近は少し元気がないのかな。「できることが減っていく」ことと向き合う日々。
なんだかんだ辛いんだと思うんです。プライドもあるし、折り合いなんてつけたくない。それでも、SOSを出せるようになっただけよかったのかもしれません。
もちろん「カチン」とくることもありますよ。理論的な話が通じないとわかっていても、こっちだって人間ですし。
だからそんなときはガッツリ叱ります(笑)相手がおばあちゃんだろうと甘やかさない。そして次の日にはちゃんと、笑顔で「おはよう」って声をかけるんです。
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こうやって聞いた話を最後、編集して本にすることはできないだろうか。どれだけ記憶が薄れても、最後に抱きしめたくなるような人生であってほしい。
地域の「人」を取材するフリーペーパーは増えたけど、そうじゃなくて。その人だけの、宝物になるような一冊を作ってみたい。
「取材をして記事を書く」って人の半生を綴ることにもなるよね。人の数だけある、それぞれの人生を垣間見ることのできる素敵なお仕事だと思ってて。
それから、おばあちゃんを含め、お年寄りを見ていると「後世に残らないこと」が時々怖いのでは?と思う節があって。
少なくとも、ここで私が聞いたことを書いて、それを読む誰かがいて。「なかったことにはならないよ」って思うんよね。
そこに誰かが生きた証。
本当は家族がこういうのをやったほうが喜ばれると思うけど、「時間がないから代わりに」というところからビジネスがはじまるのかな。
聞き書きをビジネスに。あとは遺影のデータもプラスして。
もしも需要があるならやってみたい気もするんよね。
ひとまず交通費と製本費をいただければ(笑)
取材費は今はいりません。
まだプロじゃないから、なんてね。
でも、ちょっと試してみたくて。
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