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初めてのTOEIC 運動神経が悪いということ Vol.23

このほど、勤務先ですべての職員にTOEICの受験が義務付けられた。勉強も苦手なら、試験というものがそれ以上に苦手な身には、脅威の通知だった。いまや多くの大学で学生全員に受験が課せられる一大検定試験だが、これまで受けたこともなければ、受けようと思ったこともないままできた。ワクチン接種は任意だというのに、英語力なるものは健康に優先するのか、などと飛躍した考えすら頭をもたげてくる。

学生時代の英語の試験を思い返せば、とくに苦手だったのがアクセントや発音に関する問題だった。「教えてもらってへんことが試験に出るのが、英語の嫌いなとこや」当時の友の言葉に共感したのを憶えている。実際、英語の授業といえばもっぱら読み書きや文法についての内容で、スピーキングやリスニングと称される領域については、先生たちから懇切丁寧な指導を受けた憶えがない。とある有名講師が「プールに入らない水泳部みたいなもの」と評したように、わが国の英語教育については識者の間でも問題点が指摘されているようだが、いわゆる「受験英語」をその場しのぎの勉強でかじってきた私にとっては、英語とは目的を果たすうえでの手続きでしかなく、曲がりなりにも大学に合格できてからというもの、それ以上に学ぶ動機など見出だせなかった。

TOEICを運営する法人のホームページによれば、その基本理念は「人と企業の国際化」の推進だという。国際化、グローバリゼーションなどと称される潮流と、これに適応するため不可欠な手段としての英語。至極当然のように認知されている構図だが、話者の人口でいえば中国語やスペイン語も相当なものだ。学びやすいという大義名分で英語ばかり尊重する傾向が、それを母語とする国に"たまたま産まれただけ"の人びとにマウンティングをとらせ、いまなお残存する白人至上主義を増長させることにはならないのか、つい、うがった疑問を抱いてしまう。

「翻訳や通訳のツールを使いこなせたら、それでいいでしょ」「むかし海外研修に行かせてもらったのに、低い点はとれない」受験を控えた同僚からはさまざまな感想が聞かれるが、所管するのが人事部だけに、評価の高い人ほど身構えている様子が窺える。その点、私には失うものが無く、何一つ準備せぬまま課題から解放されたい一心で受験してみたものの、想像以上に難しく、まるで歯が立たなかった。リスニングの問題など説明と問題の切れ目もわからないほどで、リーディングの問題は時間切れ、結果は275点だった。あとになって調べたところ日本の平均スコアは574点だそうで、かなり恥ずべき得点を叩き出してしまったこと、運動神経のみならず悪いところを思い知らされたが、そこはプールに入らなかった水泳部員の一人、「教えてもらってへんこと」など出来るはずもない。

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