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消えたチリンチリンと、大人になるということ

今月も今月とて、またいつものキリキリ舞い週間がやってきた。
「なぜもっと早くから取り組まなかったのだろう」とは、もはや思わない。

だって早くから着手はしていたもの。
でも、締切まで余裕がある段階ではなかなか集中モードに入れない。
精神と時の部屋は締め切り前でないと扉が開かれないのだ。

余裕がなくなってきたし、ただでさえ今は「早寝運動」をしているので1日の活動時間が短い。
したがって今までは運動もかねて徒歩で向かっていたスーパーやコンビニには、自転車を使うようになった。

昨日、あるオフラインの勉強会に向かおうとした駐輪場での話だ。
自分の自転車をみつけると同時に、違和感を抱いた。

チリンチリンがない。

ほとんど使う機会がないからふだん存在もあまり意識しないけれども、たしかについていたはずなのだ。わたしのチリンチリン。

周囲の地べたに目をやってみても、部品のひとつも見当たらない。

誰だ。なぜだ。
わたしのチリンチリンを返してくれ。

たしかにわたしの自転車はボロボロだが、それでも愛着を持って5年ぐらい連れ添ってきた。
ライトが壊れたら直し、前カゴが取れかけたら結束バンドで留め、パンクも何度か修理した。
チャーリーという名前もある。

そんな大切なチャーリーのチリンチリンがなくなってしまった!

∽∽∽

もしもわたしが幼稚園児だったら、大粒の涙をこぼし、「うわあぁぁぁ」と大声を張り上げ、地団駄を踏んでいただろう。
かなしいから。悔しいから。腹が立つから。

でも大人になったわたしは、わめいたところでチャーリーのチリンチリンが返ってこないとわかっている。
新しいチリンチリンをAmazonで買って自分でつけるか、自転車屋さんでつけてもらうしかない。あるいは、使わないからそのままにしておくか。

大人になるということは、そういうことだ。

かなしいし、悔しいし、腹が立っている自分をしっかり自分であやしながら、表面ではすんとしておくのが、大人だ。

かなしい!腹立つ!誰だよ!返せよ!という気持ちを無視してはいけない。
「それはかなしいね!イラッとくるよね!誰かに盗られたんだとしたら、一発どついてやりたいね!でもなんでチリンチリンなんか盗ったんだろうね!そいつのあだ名は一生『チリンチリン泥棒』になるね!うける!」

こんな具合でちゃんと「嫌な気持ちを味わった自分」に向き合ってあげる。

嫌な気持ちを味わった自分を無視したままにしておくと、そのうちへそを曲げる。
人の幸せを喜べなくなったり、嫉妬しやすくなったり、「でも、だって、どうせ」が多くなったり。

自分をあやせる人が大人なのだ。

ということで、チャーリーの新たなチリンチリンをポチります。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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