適応障害ふりかえり【後編】
前回は、私自身が体験した、
「適応障害中 6か月間の流れ」をまとめました。
【前編】はこちら↓↓↓
今回はその続きで、
上記の寛解までの流れを鑑みつつ、
・適応障害中にやらないほうがよかったこと
・適応障害中にやってよかったこと
上記をまとめていきます。
・適応障害中にやらないほうがよかったこと
・休養期(病気なりたてのとき)に、仕事に関する行動をした
振り返ると、ほんとこれ無意味だったし、
逆効果だったと思う。
具体的には、ビジネス書を読んだり、
転職サイトへの登録など、
色々仕事の考え方や会社について調べていた。
確かに何が原因でモヤモヤするんだろうと、
分析することは大事だけど、
このタイミングでは絶対なかった。
とにかく解決して糸口見つけて、
楽になりたかったんだと思うけど、
適応障害はやっぱり「病気」だったと、
今になってはっきり思う。
病気で「脳みそ」がコントロールできなくなってて、自分の意志で思考してるつもりだろうけど、
全然できてる状態じゃない。
そんな状態で仕事のことを考えても、
辛いこともセットで思い出してしまって、
自分で自分をナイフでぶっ刺してるだけだし、
色々行動して、何か思いついたとしても、
頭がちゃんと動いてない状態のときの考えだから、本当に正常で効果的な考えなのか、
判別ができない。
(結局このとき読んだビジネス書とか、なんも身についてないし、転職サイトも悩みの種が増えるだけだった)
例えていうと、風邪の時に無理して筋トレして、
変に体を傷めたり、風邪が余計悪化してるだけって感じ。
まずは、とにかく寝る。
なんもしない。考えない。
仕事と全く関係ないことをする。
本当にこれが実は一番治すのに近道だと思う。
(最初から全力で休んでいたら、もっと早く良くなった気もする)
仕事のモヤモヤが無意識状態ででてこなくなって、脳みそがすっからかんになった状態ではじめて、
ゆっくりと、少しずつ、
できる範囲で向きあうのでいいと思う。
・オンラインの心療内科に通院し続けた
これも、症状が長期化してしまった一つの原因な気がする。
良かった点もあった。
診察も薬受け取りも、すべて自宅でできて楽だったし、何より、初診予約がすぐにできないような病院と違い、診断書を一番しんどいときに、即日でもらえたこともよかった。
ただ、毎回診てもらえる医者が違い、
かつ、おそらくだが、医師免許は持っているが、
心療内科医としての経験がない、アルバイトのような医者が多く、
びっくりするほど変わった人に当たることもあったため、毎回の診察がストレスの一つになっていた。
もう治ってきてるしいいやと思い、
最後まで転院はしなかったが、
今思うと、最初の急いでるときはオンラインでよくても、その後はちゃんとしたところに転院したほうが、結果的に早く良くなったかもしれないなと思った。
(謎に診察料もシステム料とかとられて高かったし)
・社内連絡のチャットを都度みてしまった
病気になったばかりのころ、
会社からの休職周りの連絡を確認するために、
1日に1回、PCで社内連絡のチャットを見るようにしていたが、
自分がいない状態や、他の人のことを気にしてしまい、全く休まらなかった。
途中で「連絡の際、会社のチャットを見ないようにしたい、自分個人のメールでほしい」とお願いし、見なくてすむようになったが、
それでも気になって、たまにPCを開いて見てしまう自分がいた。
最終的には、PCをめんどくさいところにしまい込んで、何とか見ないようにしたら慣れていったけど、それくらい、特に最初の時は情報隔離をやっていいと思う。
・適応障害系の動画やネット情報を見すぎた
前向きになったり、改善策もあったりするので、
多少はいいと思うけど、
過度に見すぎないほうが良かったと今になって思う。
苦しい気持ちをなんとかしたくて、
改善策を知りたくて、
つい、いつも調べてみてしまうけど、
結構これをみていること自体、
病気と向き合いすぎてしんどくなってしまったり、
体験談なども、その人それぞれの選択肢であって、自分に当てはまるかどうかはわからないのに、
自分がその体験談と同じパターンなのか不安になり、頭が動いてないのに、また考えてこんでしまって、自分を追い込んでしまうこともあったように思う。
ある程度の情報を手に入れたあとは、
やはり何もせず休むことのほうが、大事だと思う。
休んで徐々に回復したあとに、
自分自身で自分の状況や考えを、
ゆっくり照らし合わせながら考えるほうが、
結果、良い考えに行きつきやすいように感じる。
・適応障害中にやってよかったこと
・いろんなところを歩きまわった
家にいると悶々としてしまうので、とにかく歩きにいっていた。
歩きだしてだいたい30分くらいたつと、
マイナスの考えが落ち着いてきて、整理されていくのがわかる。
私がやっていたのは、田舎に近めの環境だからできたことだけど、
・野菜直売所を巡る
・海を眺める&海沿いを歩く
・バスでちょっと遠いところへ行って、帰りは歩いて帰る
・マイナーな温泉地にいって、風呂に入って帰る
この辺をちょくちょくやっていた。
昼間歩くことで、自然、季節、様々な人などの、
流れや移ろいを感じられて、
毎日仕事し続けていた時には得られなかった、
長期的な感覚や視野を手に入れられた気がする。
・ノートに色々書いた
とりあえず、悶々としてたら、
そのまま、その気持ちを殴り書きするだけでいい。
内容がまとまってなくてもいい。
何がムカついて何が悲しいのかを、
整理できなくても書くようにする。
嘘もこのノートではつかなくてもいい。
デスノートになるかもしれないけど、
それでもいい。
そして、できればやっぱり、
こういうのは紙のノートで書くほうがいい気がする。
なんだかんだで、この期間私は3冊くらいノートに色々書いていた。
最初のほうに書いていたノートは、
もうダークマターみたいなもんになっている。
今見るだけでもおぞましく、何が書いてあるのかも読み取れない。
最初は感情の殴り書きだった。
その後、心理系の本を読んだりして、
「認知行動療法」を用いたノートの書き方を試したり、
自分の一日の行動を箇条書きにし、
かつ、その行動に対しての気持ちの浮き沈み具合を「%」にして書く方法とか、いろいろやっていった。
その後、元気になってきたくらいの段階では、
退職した場合としなかった場合の、
メリットデメリットを書いて比較したり、
今後の人生でやりたいこととかを箇条書きにして、それを眺めて考えを深めたりと、
とにかくノートを書きまくって、自分と話した。
カフェ代も節約したかったけど、
ここは投資だと思い、腰を据えてノートを書くときはカフェで何時間も書いて考えて、吐き出した。
ノートを友達と呼んでいた。
書くことでしんどくなることは少なかったので、
これに関しては、書く元気が出てきたらやっていいのかなと思う。
・料理をした
これはかなり回復してきた、中~後期あたりでよかったこと。
なぜ良いかというと、
料理をしているときは、
「料理のことしか考えない脳みそ」になるから。
この脳みそになるのがすごい大事で、
治すにあたって「辛いことを考えない無意識な時間」を、いかに増やすかが大切なのかもしれない。
ただ、料理はかなり気力を使うので、
しんどい最初の頃や、無理してやってしんどくなるなら、やらずに適当にゆっくりしてていいと思う。
補足 いまだにやってよかったかの判断できないこと
・断捨離
当時、過去の自分に固執しすぎているのではという思いや、本当に好きなもの、大切なものはなにかを知るために、
2月から3月頃に(リハビリ期くらいのとき)、
一気に服やら物を断捨離した。
なんなら、実家に帰って、
学生時代のものもほとんど捨ててしまった。
確かに今手元に残っているものは、
自分にとって本当に大切なもので、身軽にもなり、かつ、今をしっかり生きるという価値観にもなっているので、やってよかったとは思うものの、
思い起こすと、あの時はまだ完全に治ってなかったし、後々、あの時捨てないほうがよかったなと思うものも、今後出てきそうだなと感じている。
(特に実家の学生時代のものや本など)
・不妊治療
スケジュールに対して自由に対応できたことや、
年齢的に早めにチャレンジしておいてよかったと思う反面、
排卵誘発剤での体調悪化や、
やっても妊娠できなかったときの苦しさ、
不妊治療により精神薬や睡眠薬が飲めないなどもあり、
仕事のストレスだけでなく、
不妊治療のストレスまで重なってしまった気がする。
仕事に対しての問題は、割と早い段階で整理できていたが、妊娠という不確定なこととの両立というところで、
脳みそが弱っているのに、さらに問題が複雑に絡み合って、より苦しんでいたように感じる。
(そしてこの仕事と妊活のバランス問題は、いまだに解決していない)
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諸々振り返ってみると、そこそこ長くなってしまった。でもこれでも、かなり簡略化している。
それだけ、適応障害の期間は本当に苦しかったし、また、今までの自分の価値観をガラリと変えるきっかけにもなった。
一つ言えることは、適応障害はちゃんと治るけど、適応障害になる前の自分には、戻らないということだと思う。
確かにバリバリやっていた時の自分も愛おしく、誇らしい感情もある。
でも、あの頃のままずっと突き進んでいた未来は、果たしてよかったのか。
人生には、きっと大きめのターニングポイントが何か所かある。
適応障害になったことは、
間違いなく、私のターニングポイントのひとつだと思う。
「あのとき適応障害にならなかったら、
この幸せな今は、なかったかもね」
私はその言葉を、いつの日か大切な人につぶやけるように、これからも生きていきたいと思う。