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私のこれまで【自己紹介】


はじめまして。
株式会社Branding Career SalesStars事業部の木村友哉と申します。
自己紹介とともにこれまでの私のちょっと変わった経歴を記載します。
暇つぶしがてらにお読みいただけたら光栄です。

はじめに

まず初めに、私自身の生い立ちについて軽くお話していきます。
千葉県銚子市(海の街)生まれ、祖父は漁師
という字面だけ見るとややインパクトの強い環境下で生まれ育ち、幼少期から勉強はほぼせずにサッカーばかりして過ごしていました。
高校生までサッカーをしたのですが全く上達することなく高校を卒業。
自由を求めてなんとなく入った大学ではもぬけの殻となり、2限ー4限間に毎回友達と日高屋にビールを飲みに行くような怠惰な生活をしていました(笑)

趣味はサッカー観戦/ジョギング/旅行/大人になってから始めたボクシングなどを緩く嗜んでおります。

これまで住んだことがある街は
・千葉県銚子市(15年)
・茨城県神栖市(3年)
・埼玉県飯能市(4年半)
・埼玉県坂戸市(2年半)
・東京都北区(半年)
・千葉県船橋市(8年)
・東京都世田谷区(1年目)

キャリアについて

大学時代をいい加減に過ごした私も社会人となり
大学卒業後からここまで4社で〖toC・toB/無形・有形/中小・メガベンチャー・大手・スタートアップ/セールス・人事/正社員・個人事業主〗など様々な環境・立場で働くことになるのですが、ここからは私のややユニークな?カオスな?本当にあった怖い話も交えながらキャリアの詳細をご紹介します

1社目(新卒時代:22歳~25歳)/埼玉県内 中小不動産業者

遊びに全振りする怠惰な4年間を過ごした超情弱学生だった私は

①イメージだけで「稼ぐなら証券or不動産でしょ!」という超安直な2択
(同級生より稼いでやるというプライドの塊)
②当時お付き合いしていた方と早く結婚したかったので当時の居住地埼玉県から近い×記載年収が高いところ
(結果結婚しない...)
③近くに証券会社の求人がない...
(よく探せばたぶんあった)
④世の中に同じものが存在しない不動産、なんか好きだな
(深堀0)

以上4点の超情弱意思決定により新卒として埼玉県内にある当時70名ほどの中小不動産業者に求人広告経由で入社しtoCセールスを経験することになります。

期待に胸を膨らませて出社した入社初日、蓋を開けてみると
・求人記載と異なり組織はなく個人事業主の集合体
・休日日数/勤務時間も求人記載と全て異なる
・住宅手当も求人記載と異なる
・求人記載と異なり新卒の先輩社員はほぼ1年未満に退職済み

という社会人デビュー初日にとてつもないリアリティショックを受け、絶望したことが今でも深く記憶に刻まれています(笑)
※同期の8割が1年未満で退職しました

結果的に2年半ほど勤め、最後には鬱になるのですが
月2日休、月残業100時間以上、売上を上司に全て奪われる、毎月売上ランク最下位、休日は社長のカジキ釣りに毎週同行、社長宅の清掃業務、灰皿が頬をかすめる経験...etc(あとは全部ピーです)
いわゆるハードシングス・社会の理不尽を叩き込まれました。
わかりやすく言えば超ブラック企業での就労経験です(笑)

ただ“当事者意識0”の当時の私にとって、ここでの就業経験は結果的には正解だったと今は感じることが多いです。
※今思えば、結果的にです(笑)
フルコミッション型で働くスタッフが多かったこともあり“成果を出せなければ給料0”の環境下で働く人々の仕事に向かう姿勢には大変感銘を受けました。
※当時共に働かせて頂いた方の8割がその後独立し、経営者となっていきます

そんな環境下に放り込まれた私は当時23~24歳。
商談ではお客様とまともな会話が出来ずにミスコミュニケーションのオンパレード。
月4回程の商談も約1年間1件も契約できず
上司には毎日詰められ→トイレで泣くというルーティンだったわけですが
今振り返ると当時の私は矢印が顧客に一切向いておらず
「上司に怒られないために〇〇しよう」という上司の顔色を窺っただけの行動選択になっていたなと感じます。

商談をすれどもすれども契約ができない日々を過ごす中、ある日上司から
『どうせ怒られるんだからお客様のことだけ考えて売り込まず“自分がされて嬉しいことだけ”一回やってみたらどうだ』と言われ
私は「いやいや売り込まないとどうせ怒るくせにそんなスタンスで接客したら決まるものも決まらないだろ」なんて思ったのですが

「まぁ上司が言ったことだし俺に責任ねえからやってみっか」
と開き直ると同時に
「“自分がされて嬉しいこと”ってなんだろう」と初めて考えるきっかけになります。
その結果、私が出した答えは
「メリットもデメリットも全部話してくれる営業だったら信頼はできるかも(でもデメリット言われたら買う気失せるかもな)」と思い

翌日の商談で「どうにでもなれ!」と開き直って顧客に矢印を向け
“されて嬉しい接客”で商談を進めたところ(デメリットばかり話していた気がしますw)
私の予想とは裏腹に不思議と話が進み、あれよあれよといつの間に契約の話に。これが私の人生初契約でした。
のちにお客様に意思決定のポイントを尋ねたところ『自社商品のデメリットを話してくれたことで信頼が置け、この人から買いたいと思った』と営業冥利に尽きるお言葉を頂きました。

良い意味で予想を大きく裏切られたわけですが
この成功体験は私にとって今でも最も大切な経験資産になっています。

“営業とは人に物を売りつける人”と当時認識していた私はこの経験にハッとさせられました。
今では当たり前に持っている“顧客視点でのコミュニケーション”の重要性を身をもって体感しました。

振り返るとそれまでの私は
“上司に怒られないための仕事をしている→だからこそ結果が出ない”
“上司に怒られないための仕事をしているからこそ上司に怒られていること”
に全く気付いていませんでした。
新卒という立場に甘え、結果に向かう当事者意識も 責任感も0
(マインドセットという言葉さえも知らない状態...)

この経験をきっかけに少しずつセールスを理解し始め、契約件数も増えたことで
職場にも居場所ができ仕事を楽しめるようにもなっていきました。

ただこの頃(25歳)からキャリア・人生についても真剣に考えることが増え
<キャリア>
◆理詰めで物事を考える自分にはもしかしたらtoBビジネスのが向いているのでは
◆今後のキャリアのためにもtoBの経験もしておきたい
◆単価が安くても良いので商談の場数を踏んで一人前の営業マンになりたい
◆20代で管理職として組織を持ってみたい
◆求人広告で入社したけど嘘がたくさん書いてあってむかつくな(自分と同じ思いをしてほしくないな)
◆人・物・金・情報 だったら人が好きだな
◆時給換算時に時給が高い仕事がいいな
<プライベート>
◆土日休みで大切な人と時間を共有できるほうが幸せだな(当時平日休み)
◆連休が取れる環境に身を置いて趣味にも時間を使いたいな
などと考えるようにもなっていました。

当時25歳、鬱(たぶん)を発症していたこともあり転職を決意し
エージェント複数併用での初めての転職活動を始めます。

当初3社のエージェントを使用していましたが
やりとりがスムーズなマイナビエージェント1本に絞り、活動を進め
人材業界を中心に見ていたこともあって株式会社マイナビにそのまま引き抜かれることになります(笑)

2社目(25歳~32歳)/株式会社マイナビ

前述したように
担当エージェントに引き抜かれる形で株式会社マイナビへ入社します。
結果として今日までのキャリアで最も長く従事することになる会社です。

“エージェントに引き抜かれた”と流れに身を任したような記載をしましたが、転職軸としては一致しており、最初の配属として求人広告の販売部署に配属となります。

<株式会社マイナビに入社を決めた理由>
◆人材会社メガベンチャーで充実の福利厚生&土日休
◆完全toBセールス
◆平均取引単価は安いが購入までの意思決定が早く、商談数・取引社数を多く稼ぐことで売上を構成していくモデル(平均取引社数月間20~25社)
◆組織としての拡大期で同年齢の管理職が誕生し始めたタイミングで、早期昇進の可能性がある
◆エージェントが企業の上記業務内容、組織内情を深く知っており(自社なので当然だが)情報に信頼が置け、許容範囲内だっため
※入社後のギャップはほぼ0でした

配属された部署での商材、“求人広告”は
“顕在ニーズ×成果までのリードタイムが短く×多くの顧客数を回す”
という特徴があり、toBセールス初挑戦の当時の私にとっては登竜門としてこの上ないステージでした。
スキルが低くても、行動量とスピード感だけで一定の成果が出る市場構造になっているため
初動では量を担保して仕事をすることになるのですが、この経験が今のセールスとしての“足腰の強さ”に繋がっていることは言うまでもありません。
※初年度は完全に 質<<<<<<<<量 で仕事してました
時間を使って量を担保し行動した結果
1年で運よく通期全社TOPセールス受賞→課長職昇進となりました。

2年目からはプレイングマネージャーとして5名~7名の組織を持ち
プレイングとピープルマネジメントを同時にこなすこととなります。
ここでの経験は非常に苦難の連続でした。
たくさんのエピソードや出来事があるのですが
一言でいうと“人を動かすことの難しさ”を痛感することになります。

価値観や原動力が異なる人材を
自分の価値観だけでまとめようとして上手くかみ合わないことが何度もありました。
当時受け持ったメンバーには苦労をかけたと思います、今では当時のことをとても反省しています。
それでも“言語化”“再現性”に徹底的にこだわり、メンバーに恵まれたことも相まってマネージャーとしての初年度に

◎通期TOPセールス(マネージャー部門)個人受賞
◎配下メンバー合計2名のTOPセールス受賞

の成果を残すことができました。

マネージャー初年度 全社通期TOPセールス表彰式にて

たくさんの失敗やミスコミュニケーションがありましたが
当時の上司やメンバーには心から感謝しています。

ただこの翌年にコロナの影響もあり
業務がルーチンワーク化、成果が出ない1シーズンを過ごし、表現しきれない「これでいいんだっけ感」に苛まれ、働く目的さえわからないキャリアの迷子になります。

2度目の転職を考え、転職相談先を探していた時
友人紹介で現株式会社Branding Career(当時Tanpan & Co.)代表 佐地さん・タロウさんに候補者として出会うことになります。
ここでの出会いが私のキャリアのティッピングポイントになり
今私が株式会社Branding Careerにいる理由に繋がります(笑)
この時の転職活動体験が今の私がありたい姿になっています。

結論、この転職活動で私は“現職残留”と言う意思決定を下します。
(佐地さん・タロウさんその節は本当にすみませんでした...!)
複数のエージェントを併用しての活動でしたが佐地さん・タロウさんのサポートが段違いでレベルが高く、自分でも分からなかった自分の価値観を掘り起こされ頭の中がどんどん整理されていく不思議な体験をしたことを今でもよく覚えています。

併用エージェントを全て切り落とし佐地さん・タロウさんとだけ活動を進めたのですが選考が進むにつれて
「なんか俺、現職で成果に向き合うことから逃げてないか」
「環境や周りのせいにしてないか」
「セルフマネジメントすら出来て無くないか」
「今自信もって外の世界に出れないな」(ビビっちゃった)
などという感覚に陥っていきました。

2社内定直前まで進み、最終意思決定を下す際に佐地さんから
『現職でもう一回期限を決めて成果に向き合ってみたら』
とエージェントの立場から“現職残留”の背中を押され、大変感動し
マイナビにて1年後の通期TOPセールス再受賞を約束したことをよく覚えています。
この時心の中で
“自分もこうなりたい”
“この人といつか働いてみたい”
と思ったことはここで初めて打ち明けます(笑)

そこからのマイナビ生活は
“まずは約束の1年TOPセールス再受賞をしよう”と覚悟を決め熱量を再燃させて再チャレンジをしました。
※定点で業務の相談を佐地さんにしてましたね(笑)

結果は運やメンバーにも恵まれ
◎通期TOPセールス(マネージャー部門)個人受賞
を再度実現することになります。
※受賞後手土産を持って真っ先に佐地さんに報告に行きました(笑)

2022年 通期TOPセールス(マネージャー部門)受賞
当時の部下との写真です



その後、マイナビ内で部署異動/社内セールスイネーブルメント業務などを経験しましたが

2023年頃から
今度は本物の“これでいいんだっけ感”が再度チラついてきました。
「このままで“ありたい姿”になれるっけ?」
「自分の目指すべきロールモデルが近くにいる環境にチャレンジするべきでは?」
「このままの成長曲線で10年後、理想の自分でいられるか?」
等の思いが日に日にに大きくなっていきました。
スキル開発面でも頭打ち感を感じ成長実感が無かったんです。

ただ、この時前回の転職活動時と異なっていたことは
①やり切った感を強く感じていたこと
②営業活動の再現性に自信を持っていたこと
③ありたい姿が明確だったこと
④経営サイドに近い上流工程での仕事に関心が強く湧いたこと
でした。

そして再度佐地さんとコンタクトした際に
『それだったら転職してチャレンジしてみても良いんじゃない』と
今度は転職の背中を押してもらい、リファラルという形でそのまま引き抜いていただくことになります。

実はちょうどこの時
マイナビ側からは1階層上の役職へのプロモーション打診がありました。
当時のマイナビの上司には大変お世話になっていて恩もあり、業務内容としても20〜30人の組織を統括できることから魅力的なお話ではあったのですが
佐地さんからのお誘いはそれを大きく上回る魅力的なお話であり
「このタイミングでないとこの話は2度無い話だろう」と感覚的に感じたことで、再コンタクトから約3週間でほぼ迷わずに株式会社Branding Careerへのジョインを決めます。
(Jリーガーが海外移籍するときはこんな感覚なんだろうなと勝手に感じてましたw)

マイナビ社には計7年半在籍し
通期TOPセールス対象6期中3期でタイトルを獲得し卒業することになりました。
ここまで育ててくださり本当にありがとうございました。
(O統括部長、K統括部長、I統括本部長、そして全ての部下達、本当にお世話になりました!)

3社目(32歳~現在)/株式会社Branding Career

前述の経緯で
現在は佐地さんの背中を追って株式会社Branding Careerにジョインし
SalesStars事業部にて自身の経験を活かしたセールス中心の両面型エージェントとして活動中です。

私はここまでのキャリアで
toC・toB/無形・有形/中小・メガベンチャー・大手・スタートアップ/セールス・人事※後述/正社員・個人事業主 と様々なステージで活動してきた実体験をもとに皆様の転職支援を行っております。
付加価値としてはキャリア以外にも自身で運用中の資産運用・資産形成を絡めたライフプラン全般のご相談も承ることができます。

現在の私

『なんかモヤモヤするから頭の整理としてとりあえず相談してみよ』というラフな駆け込み寺として是非利用くださいませ(笑)

企業様・候補者様のそれぞれを深く理解することから始め
『木村がキャリアの(人生の)ティッピングポイントになった』と思ってもらえるサポートをこれからも続けていきます。

3社+1社(副業)/教育系企業

2024年からは身内の教育系企業にて人事部長としても活動しております。
主には
・結果分析
・採用戦略立案
・使用媒体ポートフォリオ作成
・採用アドバイザリー
・採用チームの管理運営
等を行っております。

この経験から人事部目線(買い手目線)での転職サポートも可能となっております。

Why I’m Here(私がここにいる理由)

前述のように
佐地さん・タロウさんとの出会いから自らのキャリアが好転し
“自分もこんな風になりたい”と思ったことが、今私がここにいる一番の理由です。
この先のキャリアでは自分で事業を持ち、周囲の人を自分発で幸せにしたいと考えているため
まずはモデルとなる社長の近くで日々目の前の成果に向き合っています。

また、ここまでのキャリアで主にセールスとして
酸いも甘いも経験してきた自分だからこそ
世の中のセールスパーソンに伝えられること、支援できることがあるのではないかと思っています。

『木村に出会って良かった』
『木村に出会ってキャリアのティッピングポイントになった』
と私が佐地さん・タロウさんから感じたことを
次は私が提供する側になり、関わる人を皆happyにしていきます。

最後に

私の経歴をここまで読んで頂きありがとうございます。
真剣にキャリア・人生に向き合うからこそたくさんの悩みが出てくると思います。
その時に『こんなこと聞いていいのかな?』という小さいことでも
ラフにお問合せ頂ければお茶でも飲みながら雑談がてらお話ししましょう。

気軽にFacebook、LinkedIn、HP経由などでご連絡ください!以上!あざした!

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